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白衣と菅笠を身に着けたお遍路さんの後ろ姿

八十八ヶ所巡り 第2回

平等講四国遍路

四国の右下・右上り巡礼一泊二日。

2026年10月10日-10月11日

第19番立江寺から第30番善楽寺へ徳島駅集合 / 平等寺帰着
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札所で手を合わせるお遍路さん

八十八ヶ所巡り 第2回

平等講四国遍路

四国の右下巡礼 / 貸切バス / 阿南市内分宿

一泊二日・全7回シリーズの第2回

四国の右下・右上り巡礼一泊二日。

2026年10月10日(土)・11日(日)、平等寺では土砂加持追善並びに身体健全薬師供法会をお勤めし、薬王寺、太龍寺、鶴林寺、立江寺へ。 翌日は最御崎寺から善楽寺まで、四国の右下に連なる札所を巡ります。

日程

初日

10.10土

二日目

10.11日

定員80名

参加費

50,000円

宿泊・朝食・昼食二回・夕食・バス代・無線機器代込

宿泊は阿南市内分宿

納経代は別途・当日ご持参ください

※第1回のバスの中でお話ししていた45000円から、夕食・朝食・無線機器代が抜けていたので50000円になりました。

一日目10月10日(土)
6:30徳島駅集合滞在時間 0:30
7:00移動移動時間 1:00
8:00土砂加持追善並びに身体健全薬師供法会第22番 / 滞在時間 1:20
9:20移動移動時間 0:30
9:50薬王寺参拝第23番 / 滞在時間 0:40
10:30移動移動時間 0:40
11:10ロープウェイ移動時間 0:20
11:30太龍寺参拝第21番 / 滞在時間 1:00
12:30ロープウェイ移動時間 0:20
12:50昼食(菩提樹)菩提樹 / 滞在時間 0:50
13:40移動移動時間 1:10
14:50鶴林寺参拝第20番 / 滞在時間 0:50
15:40移動移動時間 0:30
16:10立江寺参拝第19番 / 滞在時間 0:40
16:50移動移動時間 0:40
17:30えもと夕食えもと / 滞在時間 1:30
19:00移動移動時間 0:30
19:30宿泊阿南市内分宿
二日目10月11日(日)
5:30宿泊地出発移動時間 2:30
8:30最御崎寺参拝第24番 / 滞在時間 0:45
9:15移動移動時間 0:15
9:30津照寺参拝第25番 / 滞在時間 0:40
10:10移動移動時間 0:20
10:30金剛頂寺参拝第26番 / 滞在時間 0:50
11:20移動移動時間 0:30
11:50昼食(ホテルなはり)ホテルなはり / 滞在時間 0:45
12:35移動移動時間 0:15
12:50神峯寺参拝第27番 / 滞在時間 1:10
14:00移動移動時間 0:35
14:35大日寺参拝第28番 / 滞在時間 0:35
15:10移動移動時間 0:15
15:25土佐国分寺参拝第29番 / 滞在時間 0:35
16:00移動移動時間 0:20
16:20善楽寺参拝第30番 / 滞在時間 0:40
17:00高知空港方面タクシー(希望者)高知空港 / 移動時間 0:30
17:00貸切バス移動移動時間 2:45
17:30高知空港着高知空港
19:45徳島駅滞在時間 0:15
20:00移動移動時間 1:00
21:00平等寺帰着
申込締切2026年9月4日(金)
ログインして申込へ進む印刷用チラシを見る

住職より

巡拝に寄せて

第2回は、平等寺で土砂加持追善並びに身体健全薬師供法会をお勤めしてから、四国の右下を大きく巡る巡拝です。第1回から続けて歩まれる方にも、この回からご参加の方にも、四国遍路の道筋が大きく広がっていく二日間になります。

太龍寺・鶴林寺・神峯寺など、山の札所を含む行程です。貸切バスとロープウェイを使いながら、無理なく一ヶ寺ずつ手を合わせられるようご案内いたします。

お参りの作法や読経に不安がある方も心配いりません。札所ごとの由緒や見どころを住職がその場でお話ししながら進みます。

四国霊場第22番札所 平等寺住職 谷口真梁

こんな方に向いています

  • 第1回から続けて、四国の右下巡礼へ進みたい方
  • 第2回から四国遍路ツアーに参加したい方
  • 四国の右下の海辺や山の札所を、住職の案内とともに巡りたい方

はじめての方へ

作法が分からなくても、安心して巡れる二日間です。

読経の声を合わせる、山門で一礼する、納札を納める。こうした作法は、当日その場で一つずつご案内します。初めての方も、どうぞ安心してご参加ください。

白衣や輪袈裟などの巡礼用品は、すべてが揃っていなくてもご参加いただけます。納経をされる方は、納経帳や納経代を当日ご持参ください。

第2回は四国の右下を大きく回る、移動距離の長い行程です。歩きやすい靴と、バス車内で体温調整できる上着をご用意ください。

この回の特徴

  • 徳島駅集合、平等寺帰着の一泊二日です
  • 第19番立江寺から第30番善楽寺までの札所範囲を巡ります
  • 宿泊は阿南市内の4施設に分宿します。宿泊先は選べません。部屋割りは申込状況に応じて調整します

宿泊と移動

四国の右下を大きく巡る長距離の回です。一日目は夕食後にホテルへ入り、二日目は早朝出発で海辺と山の札所へ向かいます。バス移動中に休みながら巡れるよう、余裕を持って身支度を整えてください。集合時間以外の時刻は、道路状況・天候等により前後する場合があります。

巡拝予定

二日間で巡る札所と、おおまかな流れ

一日目

平等寺から四国の右下巡礼へ

徳島駅で集合し、平等寺・薬王寺へ。ロープウェイで太龍寺へ上がり、鶴林寺・立江寺まで、四国の右下巡礼の初日をゆっくり巡ります。昼食:菩提樹 / 夕食:えもと / 宿泊:阿南市内分宿

二日目

四国の右下をめぐる二日目

早朝に出発し、最御崎寺から津照寺・金剛頂寺へ。昼食後は神峯寺、大日寺、土佐国分寺、善楽寺を巡り、高知空港方面の方はタクシーで離脱できます。昼食:ホテルなはり / 高知空港 17:30頃 / 徳島駅 19:45 / 平等寺 21:00

第2回

2026年10月10日・11日(土日)
第19番 立江寺〜第30番 善楽寺 / 四国の右下巡礼

第19番立江寺から第30番善楽寺までの札所範囲を、行程順に平等寺から巡り始め、四国の右下を大きく巡ります。

22平等寺23薬王寺21太龍寺20鶴林寺19立江寺24最御崎寺25津照寺26金剛頂寺27神峯寺28大日寺29国分寺30善楽寺
宿泊阿南市内分宿

集合

10月10日 6:30 徳島駅集合初日は徳島駅から出発し、8:00に平等寺で法会をお勤めします。

平等寺法会

10月10日 8:00 土砂加持追善並びに身体健全薬師供法会土砂加持による追善供養ならびに身体健全のご祈祷を行います。法会のお申し込みは、後日受付を開始します。

帰着

10月11日 高知空港 17:30頃、徳島駅 19:45、平等寺 21:00高知空港方面は善楽寺からタクシー移動です。道路状況・天候等により到着時刻は前後する場合があります。

旅行取扱

徳南交通・徳島中央観光貸切バスで移動し、住職が参拝作法や札所の見どころをご案内します。

見どころ

第2回の札所と行程

時刻、関係施設、札所の由緒をこの中にまとめました。移動だけの行を並べず、参拝と立ち寄りの意味が分かるように掲載しています。

一日目

2026年10月10日(土)
6:30

徳島駅集合

集合滞在時間 0:30
徳島駅:一日目の集合場所です。朝の出発が早いため、集合後はすぐに貸切バスへ乗車し、平等寺へ向かいます。
8:00

平等寺

札所22番 / 滞在時間 1:20
御本尊薬師如来
御真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌

平等にへだてのなきと聞く時は あらたのもしき仏とぞみる

寺の名のとおり、薬師如来は誰をも平等に分け隔てなくお救いくださると聞けば、まことに頼もしい仏であると仰ぎ見られる。

ご利益病気平癒身心安穏旅の安全

この札所について

四国の右下巡礼の起点。土砂加持追善並びに身体健全薬師供法会をお勤めし、二日間の巡拝を始めます。平等寺は、白水山医王院と号する第二十二番札所で、御本尊は薬師如来です。弘法大師が加持水を求めて井戸を掘ると乳のような白い水が湧いたと伝わり、その白水の井戸は病を癒やす霊水として信仰されてきました。大師はその霊水で身を清め、薬師如来を刻んで安置し、すべての人を平等に救う誓願を寺名に込めたと伝えられます。本堂には、足の不自由な参拝者が回復を感謝して奉納した箱車も残り、薬師信仰が生活の苦しみに寄り添ってきたことを物語ります。10月10日の最初の平等寺では、土砂加持による追善供養ならびに身体健全のご祈祷を行うため、「土砂加持追善並びに身体健全薬師供法会」としてお勤めします。この法会のお申し込みは、巡拝ツアーとは別に後日受付を開始します。山門から本堂へ進む時間は、参加者が読経の声をそろえ、これから四国の右下をめぐる身支度を整える起点です。
この札所の見どころ
  • 白水の井戸独鈷で山崖を穿つと乳白色の水が湧いたという、山号の由来に関わる霊跡。
  • 88段厄除坂男42・女33・子13段で計88段。一段ごとに厄を落とす風習がある。
  • 薬師本尊誰をも平等に救う誓いを込めて大師が刻んだ。常時拝観できる。
  • 箱車病苦からの回復を願う信仰と、祈りがかなった感謝を伝える奉納物。
  • 善の綱仁王門まで延びる五色の綱と幕が境内を華やかに彩る。
  • 裏山の新四国(写し霊場)江戸後期、新野町や周辺の方々が寄進した88体の石仏が、約1時間の山道に立ち並ぶ。一体ずつ手を合わせると、遠い四国を身近に感じることができる。
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

平等寺の開創については、弘法大師が薬師如来を刻み、白水の霊泉を得たとする寺伝が伝わります。由来記は、薬師如来が人々の苦しみを平等に癒やす誓いを示したことを寺名の由来とし、独鈷で山崖を穿つと乳白色の水が湧いたため山号を白水山とした、と記します。これは寺に伝わる縁起として、現在の信仰を形づくっている物語です。 一方、江戸時代の巡礼案内記からは、平等寺が遍路の道筋に組み込まれていたことを具体的にたどれます。貞享4年(1687年)刊の真念『四國邊路道指南』には、平等寺を那賀郡の札所として、薬師如来と御詠歌とともに記しています。さらに『四国遍礼名所図会』(1800年)には、門前の茶屋で一宿したという記述があります。縁起の伝承だけでなく、道を歩く人を迎える札所としての歴史も、この寺の大切な姿です。 近世の由来記には、戦乱や荒廃を経たのち、延宝5年(1677年)に照俊法印が中興を志し、楼門・本堂・大師堂などを順次整えた経緯も記されています。現在の境内は、こうした再興の積み重ねと、地域の人々が守ってきた祈りの場の上にあります。

弘法大師との関わり

弘法大師が薬師如来を刻み、独鈷で山崖を穿って白水を得たという寺伝が、平等寺の信仰の核にあります。白水の井戸は、その伝承を今に伝える境内の霊跡です。奥之院の月夜御水大師にも、月を招いて加持水を得たという修行伝承が伝わります。いずれも、史料が示す歴史的事実と同じ意味で断定するのではなく、平等寺に受け継がれてきた弘法大師信仰の物語としてお参りください。

歴史
  • 弘仁5年(814年)三月中旬:弘法大師が巡錫し、薬師如来を刻んで七塔伽藍を創置、寺号を平等寺と定めたと由来記に記される
  • 戦国以降:蜂須賀入国を機に四国霊場一般が衰替したと由来記に記される
  • 延宝5年(1677年)春三月:照俊法印(豫州桒村郡古田村出身)が当寺に来て中興の業を誓う(由来記)
  • 天和3年(1683年)四月:洪鐘を再鑄(由来記)
  • 宝永3年(1706年)仲春:楼門を建立(由来記)
  • 享保7年(1722年)八月:照俊法印が本堂を建立(由来記)
  • 享保10年(1725年)霜月七日:照俊法印遷化(由来記)
  • 元文2年(1737年)三月:中興二世槐翁上人が新薬師堂を造立(由来記)
  • 寛保4年(1744年)二月二十八日:薬師如来入佛供養を遂げ、のち方丈庫裏を経営(由来記)
  • 安永8年(1779年)正月:無為法印が照俊遺命に則り大師堂再営(銅瓦)と護摩堂を造立(由来記)
  • 文政5年(1822年)閏正月:憲翁法印が御影堂を造立、文政7年(1824年)四月廿一日上棟(由来記)
  • 大正12年(1923年)八月:星供にまつわる隕石を床下から発見(由来記・『新野町志』編纂時)
  • 1969年(昭和44年)9月10日:「紙本金地著色秋草図」4面が徳島県有形文化財に指定
  • 2020年(令和2年)4月26日:本堂内陣の24時間ライブ配信を開始(平等寺公式 byodoji.online)
  • 2021年(令和3年)10月:「阿波遍路道 平等寺道」が国史跡に指定
伽藍・主要堂宇
  • 山門は入母屋造の楼門で、金剛力士(仁王)像を安置する。
  • 本堂は享保7年(1722年)八月、照俊法印が建立したと由来記に記される。元文2年(1737年)三月、中興二世槐翁上人が新薬師堂を造立し、寛保4年(1744年)二月二十八日に薬師如来入佛供養を遂げたと由来記に記される(1737年は本堂再建ではない)。
  • 大師堂は安永8年(1779年)正月に無為法印が銅瓦で再営、御影堂は文政5年(1822年)閏正月に憲翁法印が造立し、文政7年(1824年)四月廿一日上棟と由来記に記される。
  • 護摩堂・観音堂・鐘楼・客殿が境内に並ぶ。
  • 山門前に子厄坂13段、本堂正面に男厄坂42段、本堂左に女厄坂33段があり、合わせて計88段の厄除け坂となる。
  • 本堂・大師堂は常時フルオープンで、本尊・大師像を間近に拝することができ、境内は五色幕で彩られる。
  • 本堂には賓頭盧尊者(びんずるさん)が安置され、撫でて病平癒を願う参拝者が絶えない。
奥の院・霊跡
  • 奥の院・月夜御水大師(阿南市新野町月夜)は、大師が月を招いて加持水を得たと伝わる霊跡とされる。
  • 月夜御水大師には、大師が月を招き寄せて月夜とし、加持水を得たという修行伝承が残る。
  • 弥谷観音堂(阿南市福井町日の地)は、若き空海が岩に如意輪観音を刻んで修行したと伝わる番外霊場である。
  • 本堂前の白水の井戸(弘法の霊水・鏡の井戸)は、山号「白水山」の由来とされる。
  • 白水の井戸の霊水は現在も湧き、全国から水を汲みに訪れる人が絶えない。
御本尊と信仰
  • 本尊の薬師如来は、人々の苦しみを平等に癒やす誓いを示して刻まれたと寺伝に記される。
  • 白水の井戸には、病苦の平癒を願い、霊水をいただく信仰が受け継がれている。
  • 当寺に伝わる星供の秘法は、由来記において一切に平等な功徳を及ぼす修法として記される。
  • 箱車の奉納など、健脚や病苦の平癒を願う信仰の物語が残る。
  • 大正期、病からの回復を願った参拝者が、感謝のしるしとして箱車を奉納したという寺伝が残る。
文化財・寺宝
  • 徳島県指定有形文化財「紙本金地著色秋草図」4面(狩野内膳筆、1969年9月10日指定)
  • 国史跡「阿波遍路道 平等寺道」(2021年10月指定)
伝説・説話
  • 弘法大師の修行中、空中に圓光蓋の如く光が現れ、その光の中に瑠璃の鑁字を顕して薬師如来の姿に変わったと伝わる。
  • 大師が独鈷で山崖を穿つと乳白色の霊泉が湧き、山号を白水山と定めたと由来記に記される。
  • 寺名の平等寺には、すべての衆生を平等に救おうとする大師の願いが込められていると伝わる。
  • 長宗我部元親の兵火焼失説を由来記は訛傳とし、元親が経行の声を聞いて下馬拝伏したと伝える(由来記)。
文学・和歌
  • 御詠歌「平等にへだてのなきと聞く時は あらたのもしき仏とぞ見る」は由来記に記される。
  • 真念『四國邊路道指南』(1687年)にも、薬師如来とこの御詠歌が記されている。現在の札所案内と江戸時代の道案内をつなぐ、平等寺の古い記録である。
  • 享保17年(1732年)五月、『四島隨方録』に「霊場弐拾弐番白水山平等寺」と詠まれ、日光院を転句に挟んだ(由来記)。
  • 境内には谷中隆子の句碑「大道といへる道あり花樗(おふち)」などが残る。
  • 2020年4月26日より本堂内陣の24時間ライブ配信を開始し、遠隔参拝に取り組んでいる。
ゆかりの人物
  • 弘仁5年(814年)、弘法大師空海が開創したと由来記に記される。
  • 延宝5年(1677年)春三月、照俊法印が豫州桒村郡古田村出身の僧として来寺し、中興の業を起す(由来記)。
  • 照俊法印は天和3年(1683年)洪鐘再鑄、宝永3年(1706年)楼門建立、享保7年(1722年)八月本堂建立と再建を逐次行い、享保10年(1725年)霜月七日に遷化(由来記)。
  • 槐翁上人、無為法印、憲翁法印など、中興十四世にわたる再興が由来記に続く。
年中行事
  • 本堂内陣24時間ライブ配信(2020年4月26日開始)
  • 新春初護摩祈祷(1月1日0時・10時・15時、2日・3日10時・15時)
  • 本尊初会式(1月下旬)
  • 星まつり(1月28日から2月4日)
  • 春彼岸会・御影供(3月21日)
  • 花まつり(4月8日)
  • 薬師増益護摩(毎月8日15時)
  • 十一面息災護摩(毎月18日15時)
  • 不動息災護摩(毎月28日15時)
  • 朝の勤行(毎日)
参拝の実際
  • 山門前の子厄坂13段を上がって仁王門をくぐり、男厄坂42段または女厄坂33段で本堂へ参拝する(計88段)。
  • 駐車場は普通車30台・大型5台で無料(8時から17時)。
  • 納経時間は8時から17時(納経料500円、2024年4月改定)。
  • 宿坊は現在休業中。
周辺・遍路道
  • 前の第21番太龍寺からは遍路道で約10.9キロ。
  • 次の第23番薬王寺へは約19.7〜20.3キロで、室戸方面への長い行程の入口にあたる。
  • 『四国遍礼名所図会』(1800年)には、平等寺の門前茶屋で一宿した記録がある。札所が祈りの場であると同時に、歩く人を迎える道の場でもあったことが分かる。
宗派
高野山真言宗
所在地
〒779-1510 徳島県阿南市新野町秋山177番地
宝号
南無大師遍照金剛
前後の札所
前は第21番太龍寺(遍路道 約10.9km)、次は第23番薬王寺(遍路道 約19.7〜20km)
Googleマップ公式サイト法会のご案内霊場会ページ
XIGFBYTLink
第22番 白水山 医王院 平等寺 境内
第22番 白水山 医王院 平等寺 境内・全景
第22番 白水山 医王院 平等寺 大師堂
第22番 白水山 医王院 平等寺 山門・門
第22番 白水山 医王院 平等寺 本堂
第22番 白水山 医王院 平等寺 護摩堂
第22番 白水山 医王院 平等寺 鐘楼

画像著作権表示

  • 境内© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 境内・全景© AreaPhoto / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 本堂© AreaPhoto / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 護摩堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 鐘楼© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
9:50

薬王寺

札所23番 / 滞在時間 0:40
御本尊薬師如来
御真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌

皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ

誰もが病に苦しむこの世にあって、薬王寺の御本尊である薬師如来よ、どうかその瑠璃光のお薬を授け、私たちの病を癒やしてください。

ご利益厄除け無病息災家内安全

この札所について

阿波最後の札所として知られる厄除けの名刹。日和佐の町と海を背に、身を整えて土佐へ向かいます。薬王寺は、発心の道場と呼ばれる阿波最後の霊場で、全国的にも厄除けの寺として知られる別格本山です。境内へ向かう石段は、女厄坂三十三段、男厄坂四十二段、さらに瑜祇塔へ続く還暦厄坂六十一段へと重なり、参拝者は一段ごとに厄を落とす思いで登ります。弘法大師が四十二歳のとき、自身と衆生の厄除けを祈って薬師如来を彫ったという縁起も、この寺の信仰の中心です。日和佐の町を見下ろす境内では、海辺の札所らしい開けた景色と、厄を祓って次の道へ進む緊張感が重なります。平等寺で旅を始めた一行は、ここで阿波の結びに立ち、身口意を整えて土佐へ向かう準備をします。
この札所の見どころ
  • 厄坂女33・男42・還暦61段。一段一円の厄銭で厄を落とす
  • 瑜祇塔高さ29m。上方が方形、下方が円筒形で、五柱の相輪をもつ独特の塔
  • 後ろ向き薬師火災の際に奥之院へ飛び去り、後ろ向きで戻った秘仏
  • 肺大師本堂裏の石像から湧く瑠璃の水で諸病平癒を願う
  • 厄除の根本祈願所阿波最後の札所。年間百万人超が参拝
  • 随求の鐘数え年の回数だけ撞き、厄災消除を願う
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

神亀3年(726年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる。弘仁6年(815年)には、平城上皇の勅命を受けた弘法大師空海がこの地に留まり、自身と衆生の42歳の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊に安置し、伽藍を建立したと伝えられる。これにより当寺は「厄除けの根本祈願所」と定められたと伝わる。空海はこの本尊の功徳を平城・嵯峨・淳和の歴代天皇に奏上し、厄除けの勅使が下されたとも伝えられる。山号「医王山」は薬師如来の別名「医王(医王善逝)」に由来し、衆生の病苦を癒す如来であることを示す。院号は無量寿院で、寺名は薬師信仰と厄除けの霊験に由来する。文治4年(1188年)の火災で堂塔を焼失した際、本尊の薬師如来は奥之院の玉厨子山へ自ら飛び去って焼失を逃れ、堂塔の再建ののちに光を放って戻り、後ろ向きのまま安置されたことから「後ろ向き薬師」と呼ばれる秘仏になったと伝わる。

弘法大師との関わり

弘仁6年(815年)、平城上皇の勅命を受けた弘法大師空海がこの地に留まり、自身と衆生の42歳の厄除けを祈願して一刀三礼し、薬師如来坐像を自ら彫造して本尊とし、当寺を厄除けの根本祈願所と定めたと伝わる。空海はこの本尊の功徳を平城・嵯峨・淳和の歴代天皇に奏上し、各天皇から厄除けの勅使が下されたとも伝えられる。境内の三つの厄坂(女厄坂33段・男厄坂42段・還暦厄坂)はこの厄除信仰に基づくもので、参拝者は一段ごとに賽銭(厄銭)を置きながら登り、厄を落とす。本堂裏には弘法大師の石像を祀る「肺大師」があり、台座から湧く霊水(瑠璃の水)が諸病に効くと伝わる。

歴史
  • 神亀3年(726年):聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創と伝わる
  • 弘仁6年(815年):平城上皇の勅命により弘法大師空海が一刀三礼して厄除薬師如来像を彫造し伽藍を建立、厄除根本祈願所と定めたと伝わる
  • 文治4年(1188年):火災により堂塔を焼失。本尊は奥之院・玉厨子山へ飛んで難を逃れたと伝わり、再建後に秘仏「後ろ向き薬師」となる
  • 鎌倉期:火災ののち、後嵯峨天皇の勅により堂塔が再建されたと伝わる(後醍醐天皇説もある)
  • 文化5年(1808年):男厄坂・女厄坂が現在の形に改修される
  • 文政3年(1820年):大師堂建立
  • 天保6〜7年(1835〜1836年):仁王門建立、仁王像造立
  • 明治41年(1908年):現在の本堂を再建
  • 昭和38年(1963年):弘法大師開創1150年記念として瑜祇塔を建立(高さ29m、還暦厄坂も落慶時に完成)
  • 平成20年(2008年):大師堂を解体修理
  • 平成24年(2012年):仁王門を解体修理
伽藍・主要堂宇
  • 明治41年(1908年)再建の本堂を中心に、文政3年(1820年)建立の大師堂、天保6〜7年(1835〜1836年)建立の仁王門が並ぶ。
  • 昭和38年(1963年)建立の瑜祇塔(金剛峰楼閣瑜祇塔)は高さ29メートル。上方が方形、下方が円筒形で、五柱の相輪をもつ独特の形とされる。
  • 絵馬堂には大香炉と、真言を唱えながら杵でつく石臼が置かれている。
  • 本堂裏には弘法大師石像を祀る肺大師があり、随求の鐘(厄除消除の鐘)も境内に残る。
  • 樹齢600〜700年と推定される大楠2樹が境内にそびえる。
奥の院・霊跡
  • 奥之院は玉厨子山にあり、文治4年(1188年)の火災の際に本尊の薬師如来が自ら飛び去って難を逃れたと伝わる。
  • 堂塔の再建ののち、本尊は光を放って戻り、後ろ向きのまま安置されたことから「後ろ向き薬師」と呼ばれる秘仏になったと伝わる。
御本尊と信仰
  • 本尊の薬師如来は、弘法大師が42歳の厄年に自ら刻んで安置したと伝わり、当寺は「厄除けの根本祈願所」と定められたとされる。
  • 山号「医王山」は薬師如来の別名「医王(医王善逝)」に由来し、病苦を癒す信仰の中心とされる。
  • 肺大師の台座から湧く霊水は「瑠璃の水」と呼ばれ、肺病など諸病に効くと伝わる。
  • 阿波七福神霊場の寿老人を祀る札所でもある。
文化財・寺宝
  • 薬王寺の真言八祖像(美波町指定有形文化財、2015年11月27日指定):弘法大師像は天文19年(1550年)作、他の8体は安永3年(1774年)に京都の仏師・塩釜浄而の作
  • 薬王寺の星曼荼羅(九曜星)(美波町指定有形文化財、2015年11月27日指定):室町時代の作
  • 仁王門の仁王像2躯(美波町指定有形文化財、2001年12月11日指定):天保7年(1836年)、仏師・塩釜高運、康信の作
  • 薬王寺の大楠2樹(美波町指定天然記念物、2001年12月11日指定):周囲長5.5m・5.9m、高さ約25m、樹齢600〜700年と推定
伝説・説話
  • 文治4年(1188年)の火災で堂塔を焼失した際、本尊の薬師如来は奥之院の玉厨子山へ自ら飛び去り、焼失を逃れたと伝わる。
  • 再建後に本尊が後ろ向きのまま戻ったため、「後ろ向き薬師」と呼ばれる秘仏になったと伝わる。
  • 空海はこの本尊の功徳を歴代天皇に奏上し、厄除けの勅使が下されたとも伝わる。
文学・和歌
  • 御詠歌「皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ」が伝わる。
  • 吉川英治の長編小説『鳴門秘帖』の舞台として当寺が登場する。
ゆかりの人物
  • 神亀3年(726年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる。
  • 弘仁6年(815年)、平城上皇の勅命を受けた弘法大師空海が、厄除けの薬師如来像を一刀三礼して彫造し、伽藍を建立したと伝わる。
年中行事
  • 新春初祈祷(1月1〜3日)
  • 節分星供(2月3日)
  • 厄除け初会式(2月11〜12日)
  • 涅槃会(2月15日)
  • 釈尊花祭(4月8日)
  • 正御影供(4月21日)
  • 夏会式(旧暦5月晦日)
  • 弘法大師降誕会(6月15日)
  • 盂蘭盆会(8月13〜16日)
  • 施餓鬼会(8月16日)
  • 鎮守祭(10月15日)
  • 厄除年越祭(大晦日)
  • 本尊月並会(毎月12日)
参拝の実際
  • 三つの厄坂(女厄坂33段・男厄坂42段・還暦厄坂61段)では、一段ごとに賽銭(厄銭)を置きながら登り、厄を落とす風習がある。
  • 大随求菩薩の真言を唱えながら数え年の数だけ随求の鐘を撞き、厄災の消除を願う参拝も親しまれている。
  • 納経時間は7時から17時。駐車場は普通車350台・大型バス10台で無料(台数の表記は資料により差がある)。
  • 宿坊あり。精進料理は事前予約制で、1人1,800円・1日20名まで。
周辺・遍路道
  • 前の第22番平等寺からは約19.7キロ、次の第24番最御崎寺へは約75.4キロ。阿波(徳島県)最後の札所から土佐路への長丁場となる。
  • JR四国牟岐線「日和佐駅」から徒歩約5〜10分。道の駅日和佐に隣接する。
  • 国道55号沿いの日和佐にあり、阿波遍路の締めくくりとして年間100万人以上が参拝するとされる。
宗派
高野山真言宗
所在地
〒779-2305 徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285番地1
宝号
南無大師遍照金剛
前後の札所
22番 平等寺へ約19.7km(国道55号経由)、24番 最御崎寺へ約75.4km(土佐・室戸方面、阿波最後の札所から土佐路への長丁場)。
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IGFB
第23番 医王山 無量寿院 薬王寺 本堂
第23番 医王山 無量寿院 薬王寺 境内・全景
第23番 医王山 無量寿院 薬王寺 大師堂
第23番 医王山 無量寿院 薬王寺 山門・門
第23番 医王山 無量寿院 薬王寺 鐘楼

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  • 本堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 鐘楼© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
11:10

太龍寺ロープウェイ

移動移動時間 0:20
太龍寺ロープウェイ:太龍寺へ上がる山越えの移動です。那賀川流域の山並みを越えて、若き空海の修行地である太龍寺山へ近づきます。
11:30

太龍寺

札所21番 / 滞在時間 1:00
御本尊虚空蔵菩薩
御真言のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
御詠歌

太龍の常にすむぞやげに岩屋 舎心聞持は守護のためなり

太龍寺の名の通り龍が常に棲むという霊験あらたかなこの岩屋に、大師が舎心ヶ嶽で虚空蔵求聞持法を修されたのは、衆生を守護するためであった。

ご利益智慧成就学業成就技芸上達

この札所について

ロープウェイで山上へ。若き空海の修行を感じる、阿波屈指の山岳札所です。太龍寺は、標高六百メートル級の太龍寺山に広がる山岳札所で、「西の高野」とも称されます。若き空海が十九歳のころ、境内の南西にある舎心嶽で百日間の虚空蔵求聞持法を修したと伝わり、その体験は『三教指帰』にも結びつけて語られてきました。虚空蔵求聞持法は真言を百万遍となえる難行で、記憶と智慧を得る修法として、大師青年期の思想形成に大きな意味を持ちます。太龍寺は焼山寺、鶴林寺と並んで阿波の難所に数えられ、山の厳しさがそのまま信仰の深さを伝える場所です。今回はロープウェイで山上へ向かうため、移動そのものが修行地へ近づく導入になります。老杉と堂宇の中で、智慧を求めて身を投じた空海の息遣いを感じながら参拝します。
この札所の見どころ
  • 南舎心ヶ嶽19歳の空海が百万遍の求聞持法を修した岩峰。ブロンズの大師像が建つ。
  • 西の高野618m付近の伽藍は高野山奥の院に似た静けさを湛える。
  • 虚空蔵本尊半丈六の大像。毎年1月12日に開帳される秘仏。
  • 龍天井持仏堂の大廊下に竹村松嶺作の龍画。「龍天井」として知られる。
  • 太龍寺ロープウェイ全長2775mの西日本最長級。山麓から約10分で山上へ。
  • 求聞持の道太龍寺道・いわや道は国史跡の阿波遍路道。鶴林寺・平等寺間の難所。
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

寺伝によれば延暦12年(793年)、桓武天皇の勅願により堂塔が建立され、弘法大師(空海)が虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし、諸尊を安置して開創したと伝わる。本尊の虚空蔵菩薩像は弘法大師の作と伝わる。山号「舎心山」は、大師が若き日に修行した岩上「舎心ヶ嶽(舎心嶽)」に由来する。寺名「太龍寺」は、求聞持法を修する大師を守護したという大龍(龍神)にちなむと伝わる。標高618mの太龍寺山頂近くに堂塔が立ち並び、高野山奥の院に似た静かな伽藍配置から「西の高野」と称される。12の子院を擁したと伝わる。本尊真言「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を百万遍となえる虚空蔵求聞持法の根本道場として、密教の修行地の性格を色濃く残す。

弘法大師との関わり

弘法大師(空海)は19歳の頃、境内の南西にある岩峰「舎心ヶ嶽(舎心嶽)」で、虚空蔵菩薩の真言を1日1万遍・100日間で百万遍となえる「虚空蔵求聞持法」を修したと伝わる。空海ゆかりの代表的な修行地である。空海の自伝的著作『三教指帰』の序文に「阿国大滝嶽に躋り攀ぢ、土州室戸崎に勤念す」とあり、この大滝嶽が現在の太龍寺山の舎心ヶ嶽にあたるとされる。修行中の大師を大龍(龍神)が守護したという伝承が寺名「太龍寺」の由来とされ、本尊の虚空蔵菩薩像も弘法大師の作と伝わる。南舎心ヶ嶽には、大師入山1200年を記念した求聞持修行大師像が立つ。

歴史
  • 延暦12年(793年): 桓武天皇の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が虚空蔵菩薩を刻み安置して開創と伝わる
  • 天正年間(1573-1592年): 長宗我部元親の兵火により焼失
  • 江戸期: 徳島藩主蜂須賀家の支援を受けて諸堂が再建される
  • 貞享元年(1684年): 三重塔が建立される(後に興願寺(四国中央市)へ移築)
  • 文化3年(1806年): 仁王門建立
  • 嘉永5年(1852年): 本堂建立
  • 安政3年(1856年): 六角経蔵建立
  • 文久元年(1861年): 多宝塔建立
  • 明治10年(1877年): 大師堂建立
  • 明治11年(1878年): 御影堂建立
  • 明治28年(1895年): 本坊建立
  • 明治34年(1901年): 護摩堂建立
  • 明治36年(1903年): 鐘楼門建立
  • 1992年(平成4年): 太龍寺ロープウェイ運行開始
  • 1993年(平成5年): 大師入山1200年を記念し南舎心ヶ嶽に求聞持修行大師像(ブロンズ)建立
  • 2011年7月: 台風6号で本堂などが被害を受け、のちに修復
伽藍・主要堂宇
  • 仁王門は文化3年(1806年)の建立で、安置する金剛力士像は鎌倉時代の作とされ、徳島県で最大最古と伝わる。
  • 本堂は嘉永5年(1852年)の建立で、本尊を半丈六の大きな虚空蔵菩薩像として安置すると伝わる。
  • 大師堂は、御廟の橋・拝殿・御廟が高野山奥の院と同じ配列で並び、「西の高野」と称される由縁とされる。
  • 多宝塔は文久元年(1861年)の建立で、五大虚空蔵菩薩を安置すると伝わる。
  • 六角経蔵や護摩堂などが並び、本堂や仁王門など九件が国の登録有形文化財となっている。
  • 持仏堂の大廊下には、高知の画家竹村松嶺による龍の天井絵が描かれ、「龍天井」として知られる。
  • 本堂・大師堂・多宝塔などが太龍寺山頂近くに並び、高野山奥の院に似た伽藍配置を形づくる。
奥の院・霊跡
  • 奥の院は南舎心ヶ嶽で、空海が100日間の虚空蔵求聞持法を修したとされ、断崖に高野山へ向かう大師像が座す。
  • 南舎心ヶ嶽の大師像は結跏趺坐で東の海を望み、足元には太平洋へ続く谷筋の絶景が広がる(ロープウェイ駅から徒歩約20分・約680m)。
  • 南舎心ヶ嶽の大師像は、大師入山1200年を記念して平成5年(1993年)にブロンズ像として造られた。
  • 北舎心ヶ嶽には八大童子を祀る祠があり、大岩に架けた梯子の上に建つと伝わる。
  • 奥の院の黒滝寺は、空海が大龍を淵に封じ込めたという伝説を持ち、山岳仏教発祥の地とも伝わる。
御本尊と信仰
  • 本尊の虚空蔵菩薩は天井に達するほどの半丈六仏で、毎年1月12日に開帳されると伝わる。
  • 虚空蔵求聞持法は真言を1日1万遍・100日間で百万遍となえる難行とされ、青年期の空海の思想形成に深く関わったと伝わる。
  • 多宝塔には、法界・金剛・宝光・蓮華・業用の五大虚空蔵菩薩を祀ると伝わる。
  • 納経印には本尊のほか「舎心嶽求聞持大師」が授与される。
文化財・寺宝
  • 国登録有形文化財(建造物・2013年6月21日登録): 本堂
  • 国登録有形文化財: 大師堂
  • 国登録有形文化財: 御影堂
  • 国登録有形文化財: 護摩堂
  • 国登録有形文化財: 多宝塔
  • 国登録有形文化財: 六角経蔵
  • 国登録有形文化財: 本坊
  • 国登録有形文化財: 仁王門
  • 国登録有形文化財: 鐘楼門
  • 国史跡「阿波遍路道」: 太龍寺道・かも道・いわや道などの区間(2010年以降に順次指定)
  • 徳島県史跡: 太龍寺の丁石(1967年指定、現存18基のうち11基)
伝説・説話
  • 寺名は、舎心嶽で修行する空海を守護したという大龍(龍神)にちなむと伝わる。
  • 空海は著作『三教指帰』に「阿国大滝嶽に躋り攀ぢ」と記し、この地での修行を自ら述べたと伝わる。
  • 奥の院黒滝寺には、神童の告げにより空海が黒滝山の大龍を淵に封じたという伝説が残る。
  • 持仏堂の「龍天井」は、舎心嶽で大師を守護した大龍(龍神)の伝承と結びつく天井画として知られる。
文学・和歌
  • 御詠歌「太龍の常にすむぞやげに岩屋 舎心聞持は守護のためなり」が伝わる。
  • 本堂への石段下には、種田山頭火の句碑「分け入っても分け入っても青い山」が立つ。
  • 持仏堂大廊下の龍天井画は高知の画家竹村松嶺の作とされ、寺名の龍神伝承を視覚的に表す。
ゆかりの人物
  • 寺伝では、桓武天皇の勅願により延暦12年(793年)に建立され、弘法大師が諸尊を造像して開創したと伝わる。
  • 中興堂には、第4世の長範僧正と第22世の亮山僧正を中興の師として祀ると伝わる。
  • 高知の画家竹村松嶺は持仏堂大廊下の龍天井画を手がけ、寺名の龍神伝承を視覚的に表したとされる。
年中行事
  • 1月12日: 本尊・虚空蔵菩薩の御開帳
  • 旧暦3月21日: 大師像の開帳(御影供にちなむ)
  • 旧暦4月8日: 花まつり(灌仏会・釈尊降誕会)
  • 毎月の護摩祈祷(護摩堂)
参拝の実際
  • 太龍寺ロープウェイは全長2775メートルで西日本最長級とされ、101人乗りのゴンドラが約10分で山上へ運ぶ。
  • かつて「遍路ころがし(パート2)」と呼ばれた難所を、ロープウェイ利用で楽に越えられる。
  • 参道沿いの丁石は南北朝時代の道標で、現存18基のうち11基が県史跡に指定されている。
  • ロープウェイ駐車場は普通車約150台分で無料とされる。
  • 本尊は1月12日の初会式、大師像は旧暦3月21日の正御影供に開帳されると伝わる。
  • 歩き遍路には「いわや道」「かも道」などの古道があるが、いずれも険しい山道とされる。
周辺・遍路道
  • 前の第20番鶴林寺からは約6.7キロ、次の第22番平等寺へは約10.9キロの行程とされる。
  • 太龍寺道・かも道・いわや道・平等寺道は「阿波遍路道」として国の史跡に指定されている。
  • ロープウェイ山麓駅の周辺には、古代に辰砂を採掘した若杉山辰砂採掘遺跡や氷柱観音、蛭子神社がある。
  • いわや道・太龍寺道は国史跡「阿波遍路道」に含まれ、20番鶴林寺・22番平等寺との峠越えで歩き遍路の難所となる。
宗派
高野山真言宗
所在地
〒771-5173 徳島県阿南市加茂町龍山2(「竜山」とも表記)
宝号
南無大師遍照金剛
前後の札所
前は20番鶴林寺から(遍路道・太龍寺道で約6.7km、水井橋経由/車道では約11.5km・約30分)。次は22番平等寺へ約10.9km。鶴林寺・太龍寺の連続する峠越えは「遍路ころがし(パート2)」と呼ばれる難所。
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第21番 舎心山 常住院 太龍寺 ロープウェイ
第21番 舎心山 常住院 太龍寺 境内・全景
第21番 舎心山 常住院 太龍寺 眺望
第21番 舎心山 常住院 太龍寺 庭

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  • ロープウェイ© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 眺望© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 庭© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
12:30

太龍寺ロープウェイ

移動移動時間 0:20
太龍寺ロープウェイ:山上の太龍寺から下り、昼食と午後の鶴林寺・立江寺へ向かいます。山の札所から里へ戻る切り替えの時間です。
12:50

菩提樹

食事滞在時間 0:50
菩提樹:一日目の昼食会場です。太龍寺参拝とロープウェイ下山のあと、午後の鶴林寺・立江寺参拝に備えて昼食をとります。
14:50

鶴林寺

札所20番 / 滞在時間 0:50
御本尊地蔵菩薩
御真言おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌

しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈

生い茂る鶴の林(鶴林寺)を道しるべとして、ここには大師がおられ、本尊の地蔵菩薩と帝釈天が衆生を守っておられる。

ご利益延命子ども守護災難除け

この札所について

杉木立の山中にある「お鶴さん」。鶴が守った地蔵菩薩の伝承に手を合わせます。鶴林寺は、霊鷲山宝珠院と号する山寺で、地蔵菩薩を御本尊とします。弘法大師の修行中、雌雄二羽の白鶴が杉の梢で小さな金色の地蔵菩薩を守っていたという縁起から、「お鶴さん」と親しまれてきました。霊場会の紹介でも、地蔵菩薩立像、室町時代の年号を刻んだ丁石、県指定重要文化財の三重塔が見どころとして挙げられています。焼山寺、太龍寺と並ぶ阿波の難所に数えられる山の札所であり、たどり着くまでの道のりそのものが、地蔵菩薩に身を預ける祈りになります。太龍寺から下りた後に再び山へ向かうため、午後の参拝では身体の疲れも含めて祈りに変え、杉木立の静けさの中で歩みを急がず手を合わせます。
この札所の見どころ
  • お鶴さん白鶴が黄金地蔵を守った瑞祥。本堂前に雌雄2羽の銅像が立つ。
  • 矢負い地蔵胸に矢傷が残るとされる本尊。猟師の説や義経の説など、諸説が伝わる。
  • 遍路ころがし阿波三難所の二番。急傾斜の表参道を約4km登る。
  • 三重塔徳島県唯一の三重塔。五智如来を祀る県指定文化財。
  • 霊鷲山標高470m余の鷲ヶ尾。千年杉の参道から海が望める。
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

寺伝では延暦17年(798年)、桓武天皇の勅願により弘法大師が開創したと伝わる。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼を広げ、老杉のこずえに舞い降りて1寸8分(約5.5cm)の黄金の地蔵菩薩像を守護していたという。大師はこれを感得し、霊木に3尺ほどの地蔵菩薩像を刻んで、その胎内に黄金の小像を納めて本尊とし、鶴の瑞祥にちなんで寺号を「鶴林寺」と定めたと伝わる。山号の霊鷲山(りょうじゅさん)は、釈迦が法華経を説いた天竺の霊鷲山(グリドラクータ)になぞらえたものとされる。創建後は平城・嵯峨・淳和の歴代天皇の帰依を受け、のちには源頼朝・源義経らの信仰も集めて栄えたと伝える。本尊地蔵菩薩は「矢負い地蔵」とも呼ばれ、胸に矢傷が残るとされるが、これは伝承の領域に属する。地元や遍路からは「お鶴さん」と親しまれている。

弘法大師との関わり

寺伝では弘法大師が開基。大師がこの山で修行中、雌雄の白鶴が黄金の地蔵菩薩像を守護して老杉に舞い降りたのを感得し、自ら3尺の地蔵菩薩像を刻んで胎内に黄金の小像を納め本尊としたと伝わる。本尊は「伝弘法大師作」とされる。山上に至る表参道は「遍路ころがし」と呼ばれる急坂の難所で、「一に焼山(焼山寺)、二にお鶴(鶴林寺)、三に太龍(太龍寺)」と称される阿波の三難所の一つに数えられる。

歴史
  • 延暦17年(798年):寺伝による開創。桓武天皇の勅願、弘法大師による開基と伝わる(伝承)
  • 平安時代後期:本尊・木造地蔵菩薩立像が造立されたと推定される(国重要文化財の制作年代)
  • 鎌倉時代:源頼朝・源義経らの帰依を受けたと伝わる(伝承)
  • 室町時代(貞治2年=1362年ほかの年号):参道の丁石が刻まれる(県内最古級とされる)
  • 慶長9年(1604年):本堂が建立されたと伝わる
  • 文化14年(1817年)着工〜文政10年(1827年)完成:三重塔が建立される(徳島県唯一の三重塔。建立年は文政6年・文政10年など諸説)
  • 平成22年(2010年):鶴林寺への遍路道(鶴林寺道・太龍寺道)が「阿波遍路道」として四国で初めて国史跡に指定された
伽藍・主要堂宇
  • 山門(仁王門)は明治42年(1909年)の建立で、仁王像とともに一対の鶴像が安置される。
  • 本堂は慶長9年(1604年)の建立と伝わり、70段の石段を上った先に建つ。
  • 三重塔は文政期の建立で銅板葺き、高さ約23メートル、五智如来を祀る徳島県唯一の三重塔とされる。
  • 大師堂は大正2年(1913年)、護摩堂は大正15年(1926年)の建立と伝わる。
  • 境内最高所の聖天堂(宝暦8年建立)には役行者像が安置され、鎮守堂には鶴峯大権現を祀る。
  • 袴腰形式の鐘楼や六角地蔵堂、七福神堂などが、山腹の三段の伽藍に配される。
  • 本堂前には白鶴伝説にちなむ雌雄2羽の鶴銅像が左右に立ち、通称「お鶴さん」の象徴となっている。
  • 御本尊降臨之杉は弘法大師開創の遺跡とされ、白鶴が黄金地蔵を守って舞い降りた老杉と伝わる。
奥の院・霊跡
  • 奥の院は穴禅定で知られる月頂山慈眼寺で、四国別格二十霊場の第3番にあたる。
  • 本堂の左裏には、弘法大師開創の遺跡とされる御本尊降臨之杉がそびえる。
  • 参道の約1.27キロ手前には、弘法大師が杖を突くと水が湧いたと伝わる水呑大師がある。
  • 本堂を起点に室町時代の丁石が遍路道沿いに並び、貞治2年(1362年)などの年号を刻む県内最古級の道標とされる。
  • 近隣の「星の岩屋」には、弘法大師が悪星を石に変えて岩屋に封じ込めたという伝説が残る。
御本尊と信仰
  • 本尊の地蔵菩薩は弘法大師の作と伝わる秘仏で、白鶴が守ったという小さな黄金像を胎内に納めると伝わる。
  • 本尊は「矢負い地蔵」とも呼ばれ、猟師の矢を身代わりに受けて胸に傷が残ると伝わる。
  • 源義経の身代わりに矢を受けたとも伝わり、鎌倉期の武将信仰と結びつく諸説がある。
  • 納経では本尊の墨書に加え、白衣の背に鶴亀の鶴印を授かることで知られる。
  • 三重塔には五智如来(宝生・阿閦・大日・無量寿・不空成就)を祀ると伝わる。
文化財・寺宝
  • 木造地蔵菩薩立像(国指定重要文化財。寄木造・彩色、像高63.3cm、平安時代後期)
  • 絹本著色釈迦三尊像(重要美術品)
  • 絹本著色地蔵来迎図(徳島県指定有形文化財)
  • 三重塔(徳島県指定有形文化財。文政期建立、徳島県唯一の三重塔)
  • 阿波遍路道 鶴林寺道・太龍寺道(国指定史跡。平成22年指定)
伝説・説話
  • 弘法大師が修行中、雌雄の白鶴が老杉の梢で黄金の地蔵像を守護していたのを見て、自ら地蔵像を刻んだと伝わる。
  • 猟師が猪を追って矢を放つと、本堂の地蔵菩薩が胸から血を流していたといい、猟師は殺生を悔いて仏門に入ったと伝わる。
  • 近隣の星の岩屋には、弘法大師が悪星を石に変えて封じ込めたという伝説が残る。
  • 源義経の身代わりに矢を受けたとも伝わる矢負い地蔵の説があり、鎌倉期の武将信仰と結びつく。
文学・和歌
  • 御詠歌「しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈」が伝わる。
  • 仁王門の右前には、瀧佳杖の句碑「水煙にまほろしの鶴古ふし咲き」が立つ。
  • 山号「霊鷲山」は、釈迦が法華経を説いた天竺の霊鷲山(グリドラクータ)になぞらえたものとされる。
ゆかりの人物
  • 寺伝では、桓武天皇の勅願により弘法大師が開創したと伝わる。
  • 平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇の帰依を受け、源頼朝や源義経、三好長治、蜂須賀家政らの信仰も集めたと伝わる。
年中行事
  • 地蔵菩薩の縁日(毎月24日)
参拝の実際
  • 表参道は「遍路ころがし」と呼ばれる急坂で、山裾から約4キロ、徒歩約1時間半の登りとされる。
  • 「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と称される阿波三難所の一つに数えられる。
  • 樹齢千年を超える老杉や檜・松の巨木が参道を覆い、境内から和歌山・淡路・太平洋を望める。
  • 駐車場は普通車約30台分で、料金は資料により無料とも志納とも記される。現地での確認が望ましい。
  • 宿坊はなく、納経時間は7時から17時が目安とされる。
周辺・遍路道
  • 前の第19番立江寺からは約13.1キロ、次の第21番太龍寺へは約6.7キロの行程とされる。
  • 鶴林寺道と太龍寺道は「阿波遍路道」として国の史跡に指定され、石畳や丁石が残る。
  • 水呑大師から約0.5キロには、徳島の茅葺き技術を伝えるために建てられた茅葺きの遍路小屋がある。
宗派
高野山真言宗
所在地
〒771-4303 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14
宝号
南無大師遍照金剛
前後の札所
19番立江寺から約13.1km。21番太龍寺へ約6.7km(いずれも遍路道基準)。
Googleマップ霊場会ページ
第20番 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺 境内・全景
第20番 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺 眺望
第20番 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺 大師堂
第20番 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺 山門・門
第20番 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺 六角堂
第20番 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺 塔
第20番 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺 護摩堂

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  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 眺望© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 六角堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 塔© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 護摩堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
16:10

立江寺

札所19番 / 滞在時間 0:40
御本尊延命地蔵菩薩
御真言おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌

いつかさて西のすまいのわが立江 弘誓の舟に乗りていたらむ

いつになったら西方浄土を私の住まいとできるだろうか。立江寺の名にちなみ、弥陀の大誓願(弘誓)の舟に乗ってそこへ到り着きたいものだ。

ご利益延命厄除け心願成就

この札所について

阿波の関所寺。夕方の参拝で、ここまでの道を省み、次の土佐へ向かう心を整えます。立江寺は、第十九番札所であると同時に「四国の総関所」として語られてきた寺です。寺の公式案内では、聖武天皇の勅命により光明皇后の安産を祈願して建立されたとされ、子安の地蔵尊、立江の地蔵さんとしても信仰を集めてきました。霊場会の見どころには、行基菩薩が白鷺に暗示を受けたと伝わる白鷺橋、そしてお京の髪が鐘の緒に巻き上げられたという黒髪堂の伝承が紹介されています。関所寺とは、単に通過点という意味ではなく、迷いや罪を抱えた心をそのまま先へ進ませない場所です。一日目の夕方、ここで延命地蔵菩薩に向き合い、翌日の室戸への長い移動に向けて心を正します。
この札所の見どころ
  • 四国総関所邪心ある者は先へ進めないとされる関所寺。発心の道場(阿波)の関所であり、根本道場ともされる。
  • 肉付き鐘の緒お京の黒髪が鐘の緒に巻き上がったという逸話。享和3年に黒髪堂へ納められたと伝わる。
  • 白鷺橋白鷺が霊地を示したという九ツ橋。白鷺を見ずに渡った者は善男善女とされる。
  • 子安地蔵延命地蔵は安産・子育てで知られる。行基作の小像を大像の胸に秘め納めるという。
  • 格天井画再建本堂の格天井に花鳥286枚。東京藝大の教授らが手がけた。
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

橋池山 摩尼院 立江寺は、天平19年(747年)に聖武天皇の勅願により、光明皇后の安産を祈って行基菩薩が開いたと伝わる。行基は閻浮壇金(えんぶだごん)の一寸八分(約5.5cm)の延命地蔵菩薩を刻んで本尊とした。伽藍を建てる地は、どこからともなく飛来した白鷺が橋の上にとまり、仏天の暗示として行基に示したと伝えられる。弘仁6年(815年)には弘法大師がこの地に留錫し、小像のままでは後世に紛失するおそれがあるとして、自ら六尺余りの大像を刻み、行基作の小像をその胸に秘め納めたという。このとき寺号を「立江寺」と定め、四国八十八ヶ所第19番の霊場とされたと伝わる。本尊は「子安の地蔵尊」「立江のお地蔵さん」と親しまれ、安産・子育ての霊験で全国の信仰を集めてきた。四国八十八ヶ所の根本道場、また邪心ある者を戒める「四国の総関所(阿波の関所)」として知られ、発心の道場(阿波)の関所寺にあたる。山号「橋池山」は、白鷺が橋にとまったという縁起と本尊の地蔵信仰とが、寺の由来に結ばれたものである。

弘法大師との関わり

弘仁6年(815年)、弘法大師が四国八十八ヶ所霊場を開創するためこの地に留錫したと伝わる。行基作の一寸八分の小さな延命地蔵菩薩では後世に紛失するおそれがあるとして、大師は自ら六尺余りの大きな地蔵像を刻み、行基作の小像をその胸に秘め納めたとされる。このとき寺号を「立江寺」と定め、第19番の霊場としたと伝えられる。

歴史
  • 天平19年(747年):聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建し、延命地蔵菩薩を刻んで本尊としたと伝わる(伝承)
  • 弘仁6年(815年):弘法大師が留錫し、六尺余の延命地蔵菩薩を刻んで行基作の小像を胸に納め、寺号を「立江寺」と定め第19番霊場としたと伝わる(伝承)
  • 天正の兵火(1575〜1585年):長宗我部元親の兵火により焼失したと伝わる
  • 江戸初期:徳島藩祖・蜂須賀家政(蓬庵公)の支援で現在地に再興されたと伝わる
  • 享和3年(1803年):お京の「肉付き鐘の緒」を当山の堂に納め置いたと伝わる
  • 昭和49年(1974年)10月28日:火災により本堂などを焼失
  • 昭和52年(1977年)12月:本堂などの復興が完成(再建本堂の格天井に多数の天井画)
伽藍・主要堂宇
  • 山門は入母屋造の楼門で、金剛力士(仁王)像を安置すると伝わる。
  • 本堂では像高約1.9メートルの大きな地蔵菩薩坐像を拝顔できる。格天井には、東京藝術大学の教授ら約40名が描いた286枚の天井画がある。
  • 観音堂は本堂の左に棟続きで建ち、如意輪観音を祀る。絵天井でも知られる。
  • 護摩堂は本堂の右に棟続きで建ち、護摩を修するための堂とされる。
  • 大師堂は伝持の八祖を両脇に安置し、元旦から1月10日まで黒衣大師像が開帳される。
  • 多宝塔は1918年(大正7年)の建立で、一辺約5.59メートル、上重は銅板葺き、初重は本瓦葺きとされる。
  • 境内には鐘楼、毘沙門天立像を祀る毘沙門堂、神変大菩薩を祀る神変堂などが並ぶ。
  • 黒髪堂は鐘楼の近くに建ち、享和3年(1803年)に納められた「肉付き鐘の緒」を安置すると伝わる。
  • 多宝塔は下層が方形・上層が円形の木造塔で、境内を象徴する建造物としてそびえる。
奥の院・霊跡
  • 奥の院は奥谷山清水寺(せいすいじ)で、本尊は延命地蔵菩薩、納経は立江寺で行うとされる。
  • 清水寺の一帯は立江寺の旧地と伝わる。かつては現在地より西へ約400メートルの景勝地に、七堂伽藍を備えた巨刹であったとされる。
  • 昭和15年には旧跡を起点として、天神山を一周する約4キロのミニ霊場(新四国八十八ヶ所)が開創されたと伝わる。
  • 白鷺橋(九ツ橋)は立江川に架かり、開創時に白鷺がとまって霊地を示したという縁起にちなむ。邪心ある者は渡れないとされる。
  • 白鷺の姿を見ずに渡った者は善男善女とされる伝承が残り、山号「橋池山」の由来とも結ばれる。
  • 境内には子授け地蔵尊や、弘法大師入唐の守護神と感得されたという白杉大明神も祀られる。
  • 周辺の番外霊場として、お京の位牌を納めるお京塚、取星寺大師堂、星の岩屋(星谷寺)、沼江大師などが点在する。
御本尊と信仰
  • 本尊の延命地蔵菩薩は、行基菩薩が光明皇后の安産を祈って刻んだ一寸八分(約5.5センチ)の金の子安地蔵に由来すると伝わる。
  • 弘法大師が一刀三礼して像高約1.9メートルの地蔵像を刻み、その胎内に行基作の小像を納めたと伝わる。
  • 本堂では大きな地蔵菩薩坐像を間近に拝顔でき、子安・安産・延命の地蔵信仰を集めてきた。
  • 納経印には本尊のほか「四国総関所善人之証」が授与され、関所寺としての性格を示すとされる。
  • 「子安の地蔵尊」「立江のお地蔵さん」と親しまれ、安産・子育ての霊験で全国から信仰を集めてきた。
文化財・寺宝
  • 絹本著色釈迦三尊像(国指定重要文化財、明治43年指定、鎌倉時代の作と伝わる。現在は京都国立博物館に寄託)
  • 多宝塔(木造、下層が方形・上層が円形の塔で、境内の象徴的な建造物)
伝説・説話
  • 江戸時代、不義や夫殺しの罪を犯したお京が懺悔の遍路として参詣すると、黒髪が逆立って鐘の緒に巻き上げられたと伝わる。
  • 残った髪は「肉付き鐘の緒」として黒髪堂に納められ、罪を戒める関所寺らしい逸話として語り継がれる。
  • 立江町中山のお京塚は、邪心ある遍路への戒めを顕彰する祈念塚とされ、お京の位牌が納められていると伝わる。
  • 白杉大明神は、ある婦人が「我は弘法大師入唐の守護神なり」と感得して祀ったと伝わる。
  • 白鷺橋には、白鷺の姿を見ずに渡る者は善男善女であるという伝承が残る。
文学・和歌
  • 御詠歌「いつかさて西のすまいのわが立江 弘誓の舟に乗りていたらむ」には、結句を「弘誓の船に乗りていたらん」とする異伝がある。
  • 境内には遍路や立江を詠んだ句碑歌碑が点在し、君子の「お遍路の 一歩 鈴より は志まわりし」などが鐘楼の周辺に並ぶ。
  • 春には利休の命日に咲くとされる利休梅が、4月には牡丹が境内を彩ると伝わる。
ゆかりの人物
  • 聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたと伝わり、光明皇后の安産祈願が創建の縁とされる。
  • 天正の兵火ののち、阿波初代藩主の蜂須賀家政が篤く帰依し、現在地での再建を支えたと伝わる。
  • 昭和の本堂再建では、東京藝術大学の教授ら多くの画家が格天井画を手がけた。
  • お京は江戸時代の女性で、不義や夫殺しの罪を負い、懺悔の遍路として立江寺に参詣したとされる。
年中行事
  • 1月:初詣・修正会、厄除(1月10日まで)
  • 2月23〜25日:初会式・大植木市・開運大餅投げ
  • 7月24日:夏会式・施餓鬼会
  • 8月13〜14日・23日:お盆供養会・地蔵盆
  • 11月23日:先祖供養・水子供養・流水灌頂
  • 12月31日:除夜法要
参拝の実際
  • 四国の総関所として、邪心や悪行のある者は先へ進めず仏罰を受けるとされる関所寺の性格を持つ。
  • 納経所は山門正面の奥右手にあり、納経時間は8時から17時とされる。
  • 駐車場は普通車約30台。料金は資料により200円から300円と差がある。マイクロバスや大型バスも有料で駐車できる。
  • 宿坊は約200名を収容できると伝わる。
  • 大師堂の黒衣大師像は元旦から1月10日まで開帳され、間近で参拝できる(有料)。
周辺・遍路道
  • 前の第18番恩山寺からは約4.0キロ、次の第20番鶴林寺へは約13.1キロで、鶴林寺へは遍路ころがしの登りが控える。
  • JR牟岐線立江駅から約0.4キロ、徳島バス立江線「立江小学校前」から約0.4キロと、鉄道やバスでも近い。
  • 立江の門前にはお京塚(へんろ小屋48号)があり、勝浦町方面には沼江大師などの番外霊場が点在する。
宗派
高野山真言宗
所在地
〒773-0017 徳島県小松島市立江町字若松13番地
宝号
南無大師遍照金剛
前後の札所
18番恩山寺から約4.0km(南東)。次の20番鶴林寺へ約13.1km(車で約30分、遍路ころがしの登り)。
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第19番 橋池山 摩尼院 立江寺 境内・全景
第19番 橋池山 摩尼院 立江寺 大師堂
第19番 橋池山 摩尼院 立江寺 山門・門
第19番 橋池山 摩尼院 立江寺 護摩堂
第19番 橋池山 摩尼院 立江寺 鐘楼
第19番 橋池山 摩尼院 立江寺 毘沙門堂
第19番 橋池山 摩尼院 立江寺 塔

画像著作権表示

  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 護摩堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 鐘楼© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 毘沙門堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 塔© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
17:30

えもと

食事滞在時間 1:30
えもと:一日目の夕食会場です。立江寺参拝後、宿泊先へ入る前に夕食をいただき、翌朝の長距離移動に備えます。
19:30

阿南市内分宿

宿泊・帰着時刻目安
阿南市内分宿:一日目の宿泊先です。今回は阿南市内のホテルルートイン阿南、スーパーホテル阿南・富岡、ベイサイドホテル龍宮、ビジネス旅館えもとに分宿します。宿泊先は選べません。二日目早朝の四国の右下を巡る長距離移動に備えます。
ホテルルートイン阿南徳島県阿南市領家町火屋ケ原142
Googleマップウェブサイト
スーパーホテル阿南・富岡徳島県阿南市学原町深田9-1
Googleマップウェブサイト
ベイサイドホテル龍宮(ゆっくり宴会組)徳島県阿南市橘町幸田92-2
Googleマップウェブサイト
ビジネス旅館えもと(スタッフ)徳島県阿南市桑野町井ノ口原56-6
Googleマップウェブサイト

二日目

2026年10月11日(日)
5:30

宿泊地出発

行程移動時間 2:30
宿泊地出発:二日目は早朝に宿泊地を出発し、四国の右下を大きく巡ります。ここが一日の体調を整える起点になります。
8:30

最御崎寺

札所24番 / 滞在時間 0:45
御本尊虚空蔵菩薩
御真言のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきや まりぼり そわか
御詠歌

明星の出でぬる方の東寺 くらき迷いはなどかあらまし

明星が昇る東の果てに建つこの東寺(最御崎寺)で、御本尊虚空蔵菩薩の智慧の光に照らされれば、心の暗い迷いがどうして残ろうか、すべて晴れていく。

ご利益智慧成就開運旅の安全

この札所について

室戸岬に立つ土佐最初の札所。空と海がひらく場所で、虚空蔵菩薩に智慧を祈ります。最御崎寺は、修行の道場とされる土佐最初の霊場で、室戸岬の突端に立つ虚空蔵菩薩の札所です。霊場会は、太平洋の波涛と黒い岩礁、空と海が一体となる洞窟の樹下で、十九歳の空海が虚空蔵求聞持法に励んだと伝えています。『三教指帰』に見える「明星来影す」「明星口に入り」という体験も、室戸の修行伝承の核です。山号の室戸山が示すように、ここでは堂宇だけでなく、岬そのものが大師修行の舞台として迫ってきます。阿波から長く移動して到着する二日目の朝、ここで土佐遍路が始まります。海と空しかないような大きな景色の中で、虚空蔵菩薩の智慧を仰ぎ、巡拝の後半へ心を切り替えます。
この札所の見どころ
  • 七不思議鐘石・喰わずいも・捻岩・明星石ほか空海ゆかりの霊跡
  • 明星感得青年期の空海が御厨人窟で求聞持法を修し明星を得た伝承
  • 東寺土佐最初の札所。西寺(金剛頂寺)と対をなす室戸岬の突端
  • 御厨人窟番外霊場の海蝕洞。洞内の波音は日本の音風景100選
  • 秘仏本尊弘法大師作と伝わる虚空蔵菩薩坐像
  • 国重要文化財宝物館に如意輪観音半跏像ほか平安期の仏像
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

寺伝によれば、延暦11年(792年)、19歳の弘法大師空海は室戸岬付近の御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修し、明け方に虚空蔵菩薩の化身とされる明星(金星)が口に飛び込む神秘体験を得たという。24歳の著『三教指帰』には「土州室戸崎に勤念す」と記される。大同2年(807年)、唐から帰朝した翌年、弘法大師空海は勅命を受けてふたたび室戸岬を訪れ、本尊の虚空蔵菩薩を一刀三礼して刻み開創したと伝わる。山号「室戸山」と寺号「最御崎寺」は室戸岬の最先端の地に由来し、院号「明星院」はこの明星感得の伝承にちなむとされる。第26番金剛頂寺を「西寺」と呼ぶのに対し、当寺は「東寺(ひがしでら)」と通称される。土佐国で最初の札所であり、嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の崇敬篤い勅願寺として栄えた。

弘法大師との関わり

当寺は、弘法大師空海の修行と開創の伝承が一体をなす札所である。延暦11年(792年)、19歳の空海は室戸岬付近の海蝕洞・御厨人窟(みくろど)に籠もり、虚空蔵求聞持法(百万遍の真言を唱える行)を修したと伝わる。行が成就する明け方、虚空蔵菩薩の化身である明星(金星)が口中に飛び込み、悟りを得たという。大同2年(807年)、入唐求法を終えた空海は勅命を受けて再びこの地を訪れ、本尊虚空蔵菩薩を一刀三礼して刻み開創したとされる。境内には空海ゆかりの「七不思議」(鐘石・喰わずいも・明星石・捻岩・行水の池・目洗いの池・一夜建立の岩屋)が伝わる。

歴史
  • 延暦11年(792年):19歳の空海が御厨人窟で虚空蔵求聞持法を修し明星を感得したと伝わる(『三教指帰』に「土州室戸崎に勤念す」と記述)
  • 大同2年(807年):唐から帰朝した翌年、空海が勅命を受けて室戸岬を再訪し、虚空蔵菩薩を刻んで開創したと伝わる
  • 平安時代:嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の信仰が篤く勅願寺として栄えたと伝わる
  • 暦応4年・1341年: 足利尊氏により土佐の安国寺とされたと伝わる
  • 年代不明(その後): 火災で焼失
  • 元和年間・1615〜1624年: 土佐藩主・山内忠義の援助で僧・最勝が再興し七堂伽藍を整備
  • 明治初期: 神仏分離令(廃仏毀釈)により荒廃
  • 明治5年・1872年: 女人禁制を解禁
  • 大正3年・1914年: 再建
  • 昭和54年・1979年: 多宝塔を再建
  • 昭和59年・1984年: 鐘楼堂を再建
  • 昭和60年・1985年: 大師堂を再建
伽藍・主要堂宇
  • 本堂や大師堂、多宝塔、鐘楼堂のほか、護摩堂、求聞持堂、聖天堂、一畑薬師堂などが並ぶ。
  • 鐘石は、石で叩くと鐘のような澄んだ音が響くことで知られる。
  • 宿坊は遍路センターを兼ね、巡礼者の宿泊を受け入れている。
奥の院・霊跡
  • 奥の院は一夜建立の岩屋とされる。
  • 近くの御厨人窟は、若き空海が虚空蔵求聞持法を修したと伝わる洞窟で、室戸岬とともに国の史跡および名勝に指定されている。
  • 室戸岬の突端に建ち、太平洋を一望する高台に境内が開ける。
御本尊と信仰
  • 本尊の虚空蔵菩薩は、大同2年(807年)に弘法大師が刻んで開創したと寺伝で伝わる(勅願主は資料により平城天皇・嵯峨天皇と記載が分かれる)。
  • 虚空蔵菩薩の化身とされる明星が空海の口に飛び込んだという室戸の伝承が、この寺の信仰の核とされる。
  • 室戸岬の東側に建つことから「東寺」と呼ばれ、西側の金剛頂寺の「西寺」と対をなす。
文化財・寺宝
  • 国指定重要文化財: 木造薬師如来坐像(平安時代後期、漆箔、像高86.3cm、1911年8月9日指定)
  • 国指定重要文化財: 木造月光菩薩立像(平安時代後期、漆箔、像高101.6cm、木眼、1911年8月9日指定)
  • 国指定重要文化財: 石造如意輪観音半跏像(平安時代後期、大理石造、像高53.2cm・総高82.4cm、1913年8月20日指定)
  • 国指定重要文化財: 漆塗三脚盤2基(南北朝時代、康暦元年・1379年の寄進銘、1989年6月12日指定)
  • 高知県保護有形文化財: 虚空蔵菩薩坐像懸仏(直径107.2cm、厚さ2.2cm、1999年4月27日指定)
  • 室戸市指定文化財: 石像金剛力士立像(江戸時代、山内忠義建立)
  • 室戸市指定文化財: 木造金剛力士立像残片(鎌倉時代、伝・湛慶作)
  • 室戸市指定文化財: 四天王立像(平安時代)
  • 寺宝: 飛天像石扉、木造地蔵菩薩立像、木造仏頭、磬台・磬、柄香炉ほか(霊宝殿に収蔵)
伝説・説話
  • 若き空海は近くの御厨人窟にこもって虚空蔵求聞持法を修し、満願の折に明星が口に飛び込んで悟りを得たと伝わる。
  • 御厨人窟から見えるのは空と海のみであったことが、「空海」の名の由来になったとも伝わる。
  • 鐘石は石で叩くと鐘のような音が響き、その音は冥土まで届くといわれる。
文学・和歌
  • 御詠歌「明星の出でぬる方の東寺 くらき迷いはなどかあらまし」が伝わる(終止形は資料により「あらまじ」とも)。
  • 空海の著作『三教指帰』には室戸での修行に触れ、「明星来影す」と記されると伝わる。
ゆかりの人物
  • 寺伝では弘法大師が勅命を受けて開創したと伝わる(勅願主は資料により平城天皇・嵯峨天皇と記載が分かれる)。
  • のちに足利尊氏が土佐の安国寺に定めるなど武家の帰依を受け、江戸時代には土佐藩主山内氏の保護を受けたと伝わる。
年中行事
  • 初祭り(1月13日)
  • 灯台まつり(毎年11月第1週。室戸岬灯台・気象観測所の公開に合わせ、霊宝殿の国指定重要文化財も土日いずれかに特別公開される)
参拝の実際
  • 鐘石を石で叩いて音を聞く参拝が親しまれている。
  • 宿坊(遍路センター)があり、駐車場も備える。
  • 室戸岬の突端にあり、海と空が大きく開ける景観の中で参拝できる。
周辺・遍路道
  • 前の第23番薬王寺からは約75キロと長く、室戸岬をめぐって次の第25番津照寺へは約6.5キロとされる。
  • 近隣には御厨人窟や室戸岬、室戸スカイラインなどの名所がある。
  • 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の奈半利駅や高知東部交通のバスが利用できる。
宗派
真言宗豊山派
所在地
〒781-7101 高知県室戸市室戸岬町4058-1
宝号
南無大師遍照金剛/南無興教大師/南無専誉僧正
前後の札所
前の札所: 第23番 薬王寺(徳島県美波町)へ約75.4km。札所間としては四国八十八ヶ所で2番目に長い区間。次の札所: 第25番 津照寺(室戸市室津)へ約6.5km。
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第24番 室戸山 明星院 最御崎寺 境内・全景
第24番 室戸山 明星院 最御崎寺 大師堂
第24番 室戸山 明星院 最御崎寺 山門・門
第24番 室戸山 明星院 最御崎寺 本堂
第24番 室戸山 明星院 最御崎寺 山門
第24番 室戸山 明星院 最御崎寺 多宝塔
第24番 室戸山 明星院 最御崎寺 境内

画像著作権表示

  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 本堂© Motokoka / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 山門© Motokoka / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 多宝塔© Motokoka / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 境内© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
9:30

津照寺

札所25番 / 滞在時間 0:40
御本尊延命地蔵菩薩
御真言おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌

法の舟 入るか出づるかこの津寺 迷ふ我身をのせてたまへや

仏法の救いの舟は、この津寺(津照寺)の港に入るのか出ていくのか。迷い続ける私の身も、どうかその舟に乗せてお救いください。

ご利益延命海上安全交通安全

この札所について

室津の港町を見守る札所。急な石段を上がり、海上安全と延命を祈ります。津照寺は、室津港を見下ろす高台にある第二十五番札所で、御本尊は地蔵菩薩、特に楫取地蔵として親しまれています。高知県観光情報では、急な石段を登りきると本堂に着き、地元では津寺と呼ばれること、楫取地蔵は海上安全や豊漁の祈りと結びついて地元漁師の信仰が厚いことが紹介されています。霊場会も、本堂前から行当岬、室戸スカイライン、太平洋を望めることを見どころに挙げています。港を見守る地蔵菩薩の寺であるため、海辺を進む今回の行程では、単なる次の札所ではなく、海の危うさと恵みの両方に手を合わせる時間になります。室戸の海を背に進む第2回では、旅人の命を守る地蔵信仰が深く響きます。
この札所の見どころ
  • 楫取地蔵山内一豊の海難を救ったと伝わる海の守り本尊
  • 火事取り地蔵火難の際に僧に姿を変えて知らせた逸話
  • 125段の石段急坂を上って本堂へ参拝する
  • 鐘楼門竜宮門を思わせる二重門が石段の中腹に建つ
  • 本堂の眺望室津漁港と太平洋を一望できる
  • 津寺(つでら)港町に溶け込む漁民信仰の札所
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

大同2年(807年)、弘法大師空海がこの地を巡錫した際、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠に似た霊地であると感得し、一刀三礼して延命地蔵菩薩を自ら刻み、一寺を建立したと伝わる。山号「宝珠山」はこの感得に由来するとされる。寺は室津漁港を見下ろす小高い山上にあり、古くから「津寺(つでら)」と呼ばれて漁民の信仰を集めてきた。中世以降は長宗我部氏、近世には土佐藩初代藩主山内氏の庇護を受けて寺運が栄えたが、明治4年(1871年)の神仏分離・廃仏毀釈で一時廃寺となり、明治16年(1883年)に再興された。本尊の地蔵菩薩は、慶長7年(1602年)に山内一豊の船を暴風雨から救ったとの伝承から「楫取(かじとり)地蔵」と称され、海難よけ・海上安全の守り本尊として今も篤く信仰される。寺号「津照寺」は港(津)を照らす意ともいわれる。

弘法大師との関わり

弘法大師空海を開基とする。大同2年(807年)の巡錫の際、山容が地蔵菩薩の宝珠に似た霊地と感得して堂宇を建立し、一刀三礼して延命地蔵菩薩を自ら刻み本尊にしたと伝わる。本尊真言は「おん かかかび さんまえい そわか」。境内中腹より上の石段を上った先に大師堂があり、本尊楫取地蔵とともに弘法大師信仰の場となっている。

歴史
  • 大同2年(807年)弘法大師空海が開創し、一刀三礼して自刻の延命地蔵菩薩を本尊としたと伝わる(伝承)
  • 中世〜近世にかけて長宗我部氏・土佐藩主山内氏の庇護を受け寺運が繁栄したと伝わる
  • 慶長7年(1602年)土佐藩主山内一豊の船を暴風雨から救ったとされる楫取地蔵伝説の年
  • 明治4年(1871年)神仏分離・廃仏毀釈により廃寺となる
  • 明治16年(1883年)再興(境内は往時より縮小したと伝わる)
  • 昭和38年(1963年)大師堂を再建
  • 昭和50年(1975年)本堂を再建(標高約34.5m)
伽藍・主要堂宇
  • 本堂は昭和50年(1975年)の再建で、標高約34.5メートルの小山の頂に建つ。
  • 本堂へは約125段の急な石段が続き、その途中に竜宮城を思わせる鐘楼門兼仁王門が建つ。上層を鐘楼堂とし、両側に仁王像を安置する変形の二重門で、白壁と朱塗りが目を引く。
  • 麓の山門を入ると大師堂(昭和38年再建)や納経所があり、石段の右途中に鎮守の稲荷社を祀る。
  • 通称「津寺(つでら)」として室津の港町に溶け込み、古くから漁業関係者の信仰が篤い。
奥の院・霊跡
  • 境内の西隣には、室津港の改修に命を捧げたと伝わる一木権兵衛を祀る一木神社がある。
  • 参道には一木権兵衛ゆかりの「お釜岩」があると伝わる。
  • 石段を上りつめた本堂前からは、室津漁港や太平洋、行当岬、室戸スカイライン、対岸の金剛頂寺を望む。
御本尊と信仰
  • 本尊の延命地蔵菩薩は、弘法大師が宝珠の形に似た山を霊地と感得し、一刀三礼して刻んだと伝わる。
  • 本尊は慶長7年(1602年)、海上で山内一豊の船を救ったという伝承から「楫取(かじとり)地蔵」と呼ばれ、海難よけ・海上安全の信仰を集める。
  • 火難の際に僧へ姿を変えて村人に知らせたという説話から、「火事取り地蔵」とも呼ばれてきた。
  • 寺号「津照寺」は港(津)を照らす意ともいわれる。
文化財・寺宝
  • 日本遺産「四国遍路」(ストーリー番号015、文化庁認定)の構成文化財(札所)。国・都道府県・市町村による個別指定文化財・寺宝は確認できず。
伝説・説話
  • 慶長7年(1602年)、土佐藩主山内一豊が室戸沖で暴風雨に遭うと、どこからともなく現れた一人の僧が船の楫を取り室津港へ無事導いたと伝わる。
  • 港に着くと僧の姿は消え、津照寺の本尊が濡れていたことから、本尊が身を変えて船を救ったと悟られ「楫取地蔵」と呼ばれるようになったと伝わる。
  • 『今昔物語集』には、本堂の火難の際に本尊が僧に化けて村人に知らせ難を逃れたという説話が残る。「かじとり」を火事取りに掛ける逸話とも伝わる。
文学・和歌
  • 御詠歌「法の舟 入るか出づるかこの津寺 迷ふ我身をのせてたまへや」が伝わる。
  • 紀貫之は土佐国司の任を終えての帰京の途次、海が荒れて室津港に10日ほど留まったと『土佐日記』に記されると伝わる。
  • 境内には珊瑚友や須藤涛月らの句碑が点在する。
ゆかりの人物
  • 寺伝では大同2年(807年)に弘法大師が開創したと伝わる。
  • はじめ長宗我部氏の庇護を受け、のちに土佐藩主山内氏の保護で藩営とされて栄えたと伝わる。
  • 慶長7年(1602年)、土佐藩初代藩主山内一豊が室戸沖の暴風雨から救われたとされる楫取地蔵伝説のゆかりの人物とされる。
年中行事
  • 地蔵菩薩の縁日(一般に毎月24日)。当寺固有の年中行事・例祭の有無・日程は確認できず。
参拝の実際
  • 本堂へは約125段の急な石段を、中央の手すりを使って上る。石段の中腹に鐘楼門兼仁王門があり、上層の鐘楼堂と両側の仁王像が見どころとなる。
  • 駐車場は港の広場を共用して無料だが、車は境内に入れない。
  • 宿坊はなく、通称「津寺」として親しまれている。地蔵菩薩の縁日は一般に毎月24日。
周辺・遍路道
  • 前の第24番最御崎寺からは約6.5キロ、次の第26番金剛頂寺へは約3.8キロの行程とされる。室戸三山の津寺として最御崎寺(東寺)・金剛頂寺(西寺)と近接する。
  • 室津港を見下ろす立地で、行当岬や室戸スカイライン、室戸岬が近い。
  • 高知東部交通のバス停「室戸」から約0.5キロ、国道55号沿いにある。
宗派
真言宗豊山派
所在地
〒781-7102 高知県室戸市室津2652-イ
宝号
南無大師遍照金剛/南無興教大師/南無専誉僧正
前後の札所
24番最御崎寺から約6.5km(遍路道)。26番金剛頂寺へ約3.8km。いずれも室戸岬周辺の近接区間。
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第25番 宝珠山 真言院 津照寺 山門・門
第25番 宝珠山 真言院 津照寺 大師堂
第25番 宝珠山 真言院 津照寺 境内・全景
第25番 宝珠山 真言院 津照寺 眺望
第25番 宝珠山 真言院 津照寺 本堂
第25番 宝珠山 真言院 津照寺 門

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  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 眺望© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 本堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 門© 松岡明芳 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
10:30

金剛頂寺

札所26番 / 滞在時間 0:50
御本尊薬師如来
御真言おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌

往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺の空

極楽往生を願う心を月の沈む西の空に重ねる。その月が傾いていく先に、西寺と呼ばれるこの金剛頂寺の空が広がっている。

ご利益病気平癒身体健全五穀豊穣

この札所について

室戸三山の一つで「西寺」とも呼ばれる山寺。薬師如来の誓願に、健やかな旅を託します。金剛頂寺は、龍頭山光明院と号する第二十六番札所で、御本尊は薬師如来です。室戸の東側にある最御崎寺が東寺と呼ばれるのに対し、金剛頂寺は西寺とも呼ばれ、室戸の修行地を東西から受け止める位置にあります。霊場会の見どころには、霊宝殿、鯨供養塔、別名「クジラ寺」としての信仰、そして弘法大師が炊いた米が一万倍に増えて人々を飢えから救ったという一粒万倍の釜が挙げられています。薬師如来の病苦を除く誓願に加えて、飢えや海の暮らしに向き合う土地の祈りが重なる札所です。午前の室戸三山を締める参拝として、身体の健やかさと旅の支えを祈ります。
この札所の見どころ
  • 西寺室戸三山の一角。東寺・津寺と並び、納経印は「西寺」
  • 一粒万倍の釜大師が炊いた米が万倍に増えたと伝わる釜
  • 天狗問答大師が魔物を説き伏せ足摺岬へ追いやった伝承
  • 霊宝殿金銅旅壇具ほか国重要文化財の宝庫。要予約で拝観
  • 秘仏本尊薬師如来は毎年12月31日から1月8日に御開帳
  • 厄落としの石段駐車場から本堂へ約134段。手すりに錫杖の装飾
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

寺伝によれば、大同2年(807年)、弘法大師空海が平城天皇の勅願を受け、薬師如来坐像を自ら刻んで本尊とし、「金剛定寺(こんごうじょうじ)」と号して創建したと伝わる。本尊が完成すると同時に、大師が「早く行きて座りたまえ」と言うと、像が自ら本堂の扉を開いて鎮座したという話が残る。のちに嵯峨天皇が「金剛頂寺」の勅額を下賜したことから、現在の寺名に改めたとされる。淳和天皇も勅願所として尊信し、住職は第十世まで勅命で選ばれたと伝わる。山号は龍頭山、院号は光明院。室戸岬の西、行当岬背後の高台(標高169m)に位置することから「西寺(にしでら)」と呼ばれ、東寺(24番最御崎寺)・津寺(25番津照寺)とともに「室戸三山」に数えられる。なお、空海が唐からの帰途に当たる大同元年(806年)に創建したとする説(『南路志』)もある。

弘法大師との関わり

本尊の薬師如来は弘法大師の自作と伝わり、完成と同時に像が自ら本堂の扉を開いて鎮座したという。大師は当地での修行中、天狗などの魔物を説き伏せて足摺岬の方へ追いやった「天狗問答」、楠の洞穴に自らの姿を描いて魔を寄せつけなくした逸話、修行を妨げる毒龍(伏龍)を加持祈祷で退散させた伝承などを残す。大師堂前の「一粒万倍の釜」は、大師が炊いた米が万倍に増えて人々を飢えから救ったとされる。明治初期まで女人禁制の修行道場で、女性は約4km離れた女人堂から遥拝したという。

歴史
  • 大同元年(806年): 空海が唐からの帰国途次に創建したとする説(『南路志』)
  • 大同2年(807年): 平城天皇の勅願により「金剛定寺」として創建(寺伝)
  • 嵯峨天皇治世: 「金剛頂寺」の勅額を下賜され改称
  • 淳和天皇治世: 勅願所に指定され、住職は第十世まで勅命で選定したと伝わる
  • 承和2年(835年): 智光(知光)上人入滅と伝わる(4月21日)
  • 文明11年(1479年): 堂宇が火災で罹災
  • 江戸期: 長宗我部元親が寺領を寄進、のち土佐藩山内家の祈願所となる
  • 寛文5年(1665年): 護摩堂再建と伝わる
  • 1899年(明治32年): 大火災で大師堂・護摩堂以外の伽藍を焼失
  • 大正2年(1913年): 仁王門再建
  • 昭和57年(1982年): 現在の本堂を新建立
伽藍・主要堂宇
  • 霊宝殿は正倉院様式の宝物殿で、弘法大師が旅で用いたとされる金銅旅壇具など多くの国重要文化財を収蔵する。要予約で拝観できる。
  • 金銅旅壇具は、大師が各地を旅した際の遺品としてわが国唯一のものと伝わる。
  • 本堂(昭和57年・1982年再建)や大師堂のほか、二代智光上人をまつる御廟が境内にある。大師堂は本堂に背を向け、足摺岬方向の西を向く珍しい配置で、裏に天狗問答のレリーフがある。
  • 大師堂前には「一粒万倍の釜」があり、弘法大師がこの釜で米を炊くと万倍に増え、人々を飢えから救ったと伝わる。現在は底が抜けている。
  • 大師堂前の椿の木は「がん封じの椿」と呼ばれ、撫でるとがん封じになるとされる。参拝で撫で続けられて木肌がつるつるになっている。
  • 駐車場から本堂へ向かう約134段の厄落としの石段には、手すりに錫杖の装飾が付く。
  • 護摩堂(寛文5年再建と伝わる)や、勅使を迎えた勅使門跡(現在は石段と灌頂堂が残る)、三十六童子像、稚児大師像・修行大師像・魚藍観音(カツオを持つ)など、本坊周辺にも見どころがある。
  • 室戸の捕鯨で栄えた歴史を背景に、境内には鯨供養塔がある。
奥の院・霊跡
  • 当寺から約4キロの行当岬には女人堂と呼ばれる不動堂があり、女人禁制であった当時は婦女子がここから遙拝したと伝わる。
  • 若き弘法大師は寺と女人堂の間を毎日行き来して修行したとされ、岬の名「行当」もその行道の名残かもしれないと伝わる。
  • 智光(知光)上人御廟は、大師の入定を慕って二代智光上人が入定留身したと伝わる聖地とされる。御廟周囲の丸い石は妊婦に御利益があるとされ、無事出産後に返すしきたりがある。
  • 本堂から智光上人御廟へ続く道は高知県指定天然記念物のヤッコソウ自生地で、見ごろは11月下旬から12月上旬とされる。
御本尊と信仰
  • 本尊の薬師如来は、平城天皇の勅願により弘法大師が刻んだと伝わる。完成と同時に像が自ら本堂の扉を開いて鎮座したという話が残る。
  • 本尊は開山以来の秘仏で、毎年12月31日から1月8日まで御開帳される。
  • 室戸岬の西側に建つことから「西寺」と呼ばれ、東側の最御崎寺の「東寺」と対をなす。納経印も「西寺」と捺される。
  • 薬師如来の病苦を除く誓願に、海の暮らしや飢えに向き合う土地の祈りが重なる。
文化財・寺宝
  • 国指定重要文化財: 銅造観音菩薩立像(飛鳥時代後期、1957年指定)
  • 国指定重要文化財: 木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期、1911年指定)
  • 国指定重要文化財: 板彫真言八祖像(鎌倉時代・嘉暦2年=1327年、1914年指定)
  • 国指定重要文化財: 銅鐘(高麗時代、1911年指定)
  • 国指定重要文化財: 金銅密教法具 一具(鎌倉時代初期、1956年指定)
  • 国指定重要文化財: 金銅旅壇具 一具(平安時代後期、1956年指定)。携帯用の密教祭壇具で日本に現存唯一とされる
  • 国指定重要文化財: 大毘盧遮那経 7巻(平安時代初頭、1968年指定)
  • 国指定重要文化財: 金剛頂経 3巻(平安時代初頭、1968年指定)
  • 高知県指定保護有形文化財: 金剛頂寺の仏画 8幅(2005年指定)
  • 高知県指定天然記念物: 室戸町西寺のヤッコソウ自生地(1952年指定)
  • 室戸市指定文化財: 絹本著色弘法大師像(鎌倉時代)
  • 国指定史跡: 土佐遍路道(令和7年〔2025年〕3月10日指定の金剛頂寺道・境内ほか)
伝説・説話
  • 弘法大師が炊いた米が一万倍に増えて人々を飢えから救ったと伝わる「一粒万倍の釜」が残る。
  • 大師は当地での修行中、天狗などの魔物を説き伏せて足摺岬の方へ追いやった「天狗問答」の伝承を残す。
  • 二代智光上人は、大師が承和2年(835年)3月21日に高野山で入定したと知るや、その後を慕って同年4月21日に当地で入定留身したと伝わる。
  • 鯨の供養塔があり、別名「クジラ寺」とも呼ばれてきた。
  • 修行を妨げる毒龍(伏龍)を加持祈祷で退散させた伝承も残る。
文学・和歌
  • 御詠歌「往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺の空」が伝わる。
ゆかりの人物
  • 寺伝では大同2年(807年)に平城天皇の勅願で弘法大師が開創し、嵯峨天皇が「金剛頂寺」の勅額を奉納したと伝わる。
  • 淳和天皇も勅願所として尊信し、住職は第十世まで勅命で選ばれたと伝わる。のちに長宗我部元親の寺領寄進や土佐藩主の保護を受けたと伝わる。
  • 二代智光(知光)上人は大師の弟子と伝わり、大師の入定を慕って当地で入定留身したとされる。
年中行事
  • 本尊薬師如来の御開帳: 毎年12月31日〜1月8日
  • 大師堂の開帳: 旧暦3月21日(正御影供にあたる日)
  • 弘法大師像ご開帳: 1月第2日曜日(大師堂)
参拝の実際
  • 室戸三山の一つで、納経印には「西寺」と捺される。
  • 駐車場は普通車約20台で有料、宿坊(西寺檀信徒会館)は約100名を収容すると伝わる。
  • 霊宝殿には国の重要文化財が多く収蔵され、室戸を代表する寺宝の宝庫とされる。要予約で拝観できる。
  • 納経受付時間は令和6年(2024年)4月より8時から17時に変更された(従前は7時から17時との情報あり)。
周辺・遍路道
  • 最御崎寺(東寺)、津照寺とともに室戸三山に数えられ、行当岬の頂(標高169m)に境内が広がる。
  • 硯が産出することから「硯が浦」とも呼ばれる行当岬や、女人堂の不動堂が近い。
  • 前は25番津照寺から約3.8キロ。次は27番神峯寺へ約27.5キロと、土佐の長丁場の入口にあたる。
宗派
真言宗豊山派
所在地
〒781-7108 高知県室戸市元乙523
宝号
南無大師遍照金剛/南無興教大師/南無専誉僧正
前後の札所
前は25番津照寺から約3.8km。次は27番神峯寺へ約27.5km(土佐の長丁場で、神峯寺は「真っ縦」と呼ばれる急坂の遍路ころがしが控える)。
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第26番 龍頭山 光明院 金剛頂寺 本堂
第26番 龍頭山 光明院 金剛頂寺 境内・全景
第26番 龍頭山 光明院 金剛頂寺 大師堂
第26番 龍頭山 光明院 金剛頂寺 山門・門
第26番 龍頭山 光明院 金剛頂寺 鐘楼

画像著作権表示

  • 本堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 鐘楼© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
11:50

ホテルなはり

食事滞在時間 0:45
ホテルなはり:二日目の昼食会場です。最御崎寺・津照寺・金剛頂寺を巡ったあと、午後の神峯寺、大日寺、土佐国分寺、善楽寺へ向かう前に休憩します。
12:50

神峯寺

札所27番 / 滞在時間 1:10
御本尊十一面観世音菩薩
御真言おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌

みほとけの恵みの心神峯 山も誓いも高き水音

御本尊十一面観音の恵み深いお心がこもる神峯。その山も観音の誓いも高くそびえ、霊水を湛えた水音が高らかに響いている。

ご利益開運厄除け心願成就

この札所について

土佐の関所ともいわれる急坂の札所。観音さまの慈悲に、息を整えて近づきます。神峯寺は、神峯山中腹に境内を構える第二十七番札所で、御本尊は十一面観世音菩薩です。霊場会は、神功皇后の時代に神社を起源とし、行基菩薩が十一面観音像を刻んで神仏合祀を行い、のち弘法大師が伽藍を整えたと伝えます。高知県観光情報では、仁王門まで「真っ縦」と呼ばれる急坂の参道が一キロ余り続き、歩き遍路にとって屈指の難所であること、岩崎弥太郎の母が息子の開運を祈って二十一日間日参した話、神峯の水が病気平癒の霊験で知られることも紹介されています。土佐の関所と呼ばれる厳しさは、観音さまの前へ近づくために心身を整える時間でもあります。昼食後に向かうこの札所は、バス巡拝でも土佐の山の深さを感じる要所です。
この札所の見どころ
  • 遍路ころがし仁王門から続く「真っ縦」の急坂約1キロ。歩き遍路屈指の難所とされる。
  • 土佐の関所四国四関所の一つ。邪心ある者は仏罰で入れないと伝わる。
  • 神峯の水鐘楼裏手の石清水。土佐の名水40選に数えられ、病気平癒の信仰がある。
  • 烏枢沙摩明王トイレ前に安置。不浄を焼き尽くすとされ、婦人科の利益があるとされる。
  • 岩崎母の日参弥太郎の母・美和が21日間裸足で往復日参したという伝説が残る。
  • 山上の伽藍標高450〜600メートル、160段の石段と庭園が広がり、太平洋を望む。
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

寺伝によれば、神功皇后が三韓出兵に際して戦勝を祈り、天照大神をはじめ天地の神々を祀ったのが起源と伝わる。のち天平2年(730)、聖武天皇の勅を受けた行基が十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、神仏を併せ祀って堂を開いたと伝える。さらに大同4年(809)、弘法大師(空海)がこの地に堂宇を建立し「観音堂」と名付けたと伝わる。本尊の十一面観世音菩薩は行基作と伝えられる秘仏である。古くは山上の神峯神社(奥の院)と一体の神仏習合の聖地で、山名「神峯(こうのみね)」がそのまま寺名となった。院号「地蔵院」は、明治の廃寺と再興を経た大正元年(1912)に、茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺基を移して寺号を復興した経緯に由来する。山号「竹林山」と合わせ、現在は竹林山地蔵院神峯寺と称する。

弘法大師との関わり

大同4年(809)、弘法大師がこの地に堂宇を建立し「観音堂」と名付けたと伝わり、開基は弘法大師とされる。山中(標高約483m付近)には、大師が修法・秘策を練ったと伝わる3mを超える「腰かけ岩」が残る。大師堂は平成4年(1992)の建立で、胎内に「光現大師」と呼ばれてきた身丈1尺ほどの石像を納めた木造弘法大師坐像を安置する。

歴史
  • 伝・天平2年(730)行基が十一面観世音菩薩を刻み本尊として開創したと伝わる
  • 伝・大同4年(809)弘法大師が堂宇を建立し「観音堂」と名付けたと伝わる
  • 元和年間(1615〜1624)火災により焼失したと伝わる(神峯神社の焼失・現在地再建時に観音を遷座したとする出典もあり)
  • 明治初年 神仏分離令により寺号が廃されて神峯神社のみが残り、本尊は26番金剛頂寺に預けられた
  • 明治20年(1887)神峯神社の下段・旧僧坊跡に堂舎を建立し本尊を戻して札所を再興(明治17年/1884説もあり)
  • 大正元年(1912)茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺基を移す形で認可を得て寺号復興
  • 昭和5年(1930)仁王門(山門)完成
  • 平成4年(1992)大師堂完成(14年の工事期間)
  • 平成19年(2007)仁王門の屋根葺替と仁王像修復
  • 令和6年(2024)4月1日 納経受付時間を8:00開始に変更(従来は7:00)
伽藍・主要堂宇
  • 昭和5年(1930年)完成の仁王門(山門)を入ると、急坂「真っ縦(まったて)」の参道が約1キロ以上続く。古くから歩き遍路屈指の難所「遍路ころがし」として知られ、転ぶ者も多かったとされる。
  • 平成4年(1992年)に完成した大師堂は、14年の工事期間を経て建立された。胎内に「光現大師」と呼ばれる身丈1尺ほどの石像を納めた木造弘法大師坐像を安置する。
  • 本堂へは160段ほどの石段が続き、沿道には石清水を引いた日本庭園が整う。つつじ・さつき・モクレン・紅葉などが四季を彩る。
  • 鐘楼裏手には「神峯の水(石清水)」が湧き、トイレ前に烏枢沙摩明王の像を祀る。烏枢沙摩明王は一切の不浄を焼き尽くすとされ、婦人科系や下半身の病の平癒に利益があるとして、関連のお札も授与される。
奥の院・霊跡
  • 奥の院は山上の神峯神社。神武天皇東征の際にこの峯を神の峯として祀ったのが起源と伝わる。古くは山上の神峯神社と一体の神仏習合の聖地であった。
  • 神峯神社本殿は高知県指定文化財(枌葺三面入母屋造、全国的に珍しい構造とされる)。参道の大楠は推定樹齢約900年で、県指定天然記念物とされる。
  • 山中(標高約483メートル付近)には、大師が修法・秘策を練ったと伝わる3メートルを超える「腰かけ岩」が残る。
御本尊と信仰
  • 本尊の十一面観世音菩薩は行基作と伝えられる秘仏で、観音霊場として信仰を集める。
  • 四国霊場に4つある関所寺の一つ「土佐の関所」。邪心ある者は仏罰で境内に入れない、悪人を拒むという信仰が伝わる。
  • 神峯の水(石清水)は土佐の名水40選に数えられ、病気平癒に霊験あらたかと伝わる。
文化財・寺宝
  • 神峯神社本殿(高知県指定文化財/枌葺三面入母屋造、全国的に珍しい構造とされる)※奥の院・神峯神社の指定
  • 神峯神社の大楠(高知県指定天然記念物、推定樹齢約900年)※奥の院・神峯神社の指定
  • 神峯の水(土佐の名水40選に選定)※文化財指定ではないが土佐の名水として知られる
伝説・説話
  • 古くから歩き遍路屈指の難所「遍路ころがし」として知られ、急坂で転ぶ者も多かったとされる。
  • 三菱財閥創始者・岩崎弥太郎の母(美和)が、息子の開運を祈り、安芸(井ノ口)の自宅から往復約20キロの道のりを21日間(三七日)裸足で日参したという伝説が残る。
  • 神功皇后が三韓出兵に際して戦勝を祈り、天照大神をはじめ天地の神々を祀ったのが起源と伝わる(寺社の縁起伝承)。
文学・和歌
  • 御詠歌「みほとけの恵みの心神峯 山も誓いも高き水音」が伝わる。
ゆかりの人物
  • 天平2年(730年)、聖武天皇の勅を受けた行基が十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、堂を開いたと伝わる。
  • 大同4年(809年)、弘法大師が堂宇を建立し「観音堂」と名付けたと伝わる。
  • 大正元年(1912年)、茨城県稲敷郡朝日村の真言宗地蔵院の寺基を移して寺号を復興した経緯がある。
年中行事
  • 初会式観音護摩法要 1月18日
  • 大祭観音護摩法要 8月9日
参拝の実際
  • 麓から「真っ縦」と呼ばれる急な遍路道を約1キロ以上登る難所。唐浜駅からは約3.9キロで、山上のため車やタクシーの利用が一般的。
  • 納経時間は8時から17時(令和6年4月1日より変更。従来は7時開始)。
  • 駐車場は普通車約30台で有料(料金は出典により100円から500円と差がある)。
  • 宿坊はない。
周辺・遍路道
  • 前の第26番金剛頂寺からは約27.5キロ、次の第28番大日寺へは約37.5キロとされる、遍路屈指の長丁場。
  • 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線「唐浜駅」から、登山車道で山門下の駐車場まで上がれる。
  • 神峯山中腹(標高約450〜600メートル)に伽藍が広がり、境内や参道からは太平洋を一望できる。
宗派
真言宗豊山派
所在地
〒781-6422 高知県安芸郡安田町唐浜2594
宝号
南無大師遍照金剛/南無興教大師/南無専誉僧正
前後の札所
前は26番金剛頂寺から約27.5km。次は28番大日寺へ約37.5km(いずれも遍路道基準。26→27を約30kmとする出典もある)。
Googleマップ霊場会ページ
IG
第27番 竹林山 地蔵院 神峯寺 本堂
第27番 竹林山 地蔵院 神峯寺 境内・全景
第27番 竹林山 地蔵院 神峯寺 眺望
第27番 竹林山 地蔵院 神峯寺 大師堂
第27番 竹林山 地蔵院 神峯寺 山門・門
第27番 竹林山 地蔵院 神峯寺 境内

画像著作権表示

  • 本堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 眺望© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 境内© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
14:35

大日寺

札所28番 / 滞在時間 0:35
御本尊大日如来
御真言おん ばざら だどばん
御詠歌

露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みを運ばざらまし

露や霜のようにはかない罪までも照らし清めてくださる大日寺(大日如来)。そのみもとへ、どうして参拝の歩みを運ばずにいられようか。

ご利益開運病気平癒家内安全

この札所について

土佐平野に入り、大日如来の光明に手を合わせる札所。山の難所から里の祈りへ移ります。大日寺は、法界山高照院と号する第二十八番札所で、御本尊は金剛界大日如来です。霊場会によれば、行基菩薩作とされる大日如来坐像は高さ約百四十六センチの寄木造りで四国最大級、脇仏の聖観世音菩薩立像とともに国の重要文化財に指定されています。さらに奥の院には、大師ゆかりの楠の霊木に刻まれたと伝わる爪彫り薬師が祀られ、頭、眼、鼻、耳、顔など首から上の病に霊験があるとされます。薬師堂の脇には土佐名水四十選にも選ばれた大師御加持水も湧きます。神峯寺の急坂を越えたあと、里へ下りて大日如来の光明に包まれるように参拝する札所で、山岳修行の緊張から土佐平野の静かな祈りへ移る節目になります。
この札所の見どころ
  • 爪彫薬師大師が楠に爪で彫ったと伝わる奥の院本尊。首から上の病に霊験があるとされる。
  • 奉納の石願いが叶うと、穴の開いた石に氏名・年齢・部位を書いて奉納する習わしがある。
  • 大日如来像本堂に国重文の大日如来坐像と聖観音立像を安置。平成9年に釘を使わず再建。
  • お加持水奥の院近くの湧水。大師が杖で湧出させたと伝わり、高知県の名水40選に選ばれている。
  • 花のお寺シンプルな山門と四季の草花で知られる。
  • 六角堂地蔵菩薩を祀る六角の堂で、月に一度護摩供養が行われる。
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

寺伝では、天平年間(729〜749年)に聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が、金剛界大日如来の尊像を彫造して堂宇に安置し、当寺を開いたと伝わる。本尊の大日如来(マハーヴァイローチャナ)は真言密教で最も重要な根本仏とされ、寺号「大日寺」もこの本尊に由来する。山号は法界山、院号は高照院。その後一時荒廃したが、弘仁6年(815年)に四国を巡錫した弘法大師空海が、末世の人々の安泰を祈り、境内近くの楠の大木に爪で薬師如来像を彫って堂を建て、中興したと伝わる。このとき大師は、本尊大日如来の縁日が28日であることにちなみ、当寺を第28番の札所に定めたともいわれる。江戸時代には土佐藩主山内家の祈願所として栄え、大師堂の弘法大師像は二代藩主山内忠義の寄進と伝わる。明治の神仏分離・廃仏毀釈で一時廃寺となったが再興され、1200年余りにわたり法灯が守られている。

弘法大師との関わり

弘仁6年(815年)、四国を巡錫した弘法大師空海が末世の人々の安泰を祈り、境内近くの楠の立ち木に爪で薬師如来像を彫って堂を建て、荒廃していた当寺を中興したと伝わる。爪がノミ代わりになったという伝説から、この像は「爪彫薬師(つめほりやくし)」と呼ばれ、奥の院に祀られている。また大師は、本尊大日如来の縁日(28日)にちなみ、当寺を第28番の札所に定めたともいわれる。大師が杖を突いて湧かせたと伝わる「お加持水」も、奥の院近くに残る。

歴史
  • 天平年間(729〜749年):聖武天皇の勅願により行基菩薩が大日如来像を刻み開創したと伝わる(伝承)
  • 弘仁6年(815年):四国巡錫中の弘法大師空海が楠に爪彫薬師を刻み中興、第28番札所に定めたと伝わる(伝承)
  • 江戸時代(慶長年間ごろ〜):土佐藩の祈願所として栄える。大師堂の弘法大師像は藩主山内忠義の寄進と伝わる
  • 明治5年(1872年):神仏分離令・廃仏毀釈により廃寺となり、本堂は「大日堂」と改称
  • 明治17年(1884年):再興
  • 明治44年(1911年)8月9日:木造大日如来坐像・木造聖観音立像が国の重要文化財(旧国宝)に指定
  • 昭和42年(1967年)7月28日:「大日寺」が香南市(旧野市町)指定史跡に指定
  • 昭和59年(1984年):大師堂を再建(宝形造)
  • 昭和61年(1986年):六角堂を建立
  • 平成9年(1997年):本堂を古代工法により釘を一本も使わず再建
伽藍・主要堂宇
  • 本堂は平成9年(1997年)に古代の工法で釘を一本も使わず再建された五間四面の堂。本尊の大日如来坐像(像高約146センチ、平安時代後期作)と脇仏の聖観音立像(像高約171センチ)を安置し、ともに国の重要文化財に指定されている。
  • 本堂と大師堂が並んで建つ。大師堂の弘法大師像は土佐藩2代藩主山内忠義の寄進と伝わる。堂は昭和59年(1984年)に宝形造で再建された。
  • 昭和61年(1986年)建立の六角堂は地蔵菩薩を祀る六角の堂で、月に一度護摩供養が行われる。
  • シンプルな山門と、境内を彩る四季の草花が美しく、「花のお寺」として知られる。
  • 境内には爪彫り薬師ゆかりの楠の霊木や、奥の院の遥拝所がある。立ち木の爪彫薬師は明治の台風で倒れ、現在は倒木から切り出した薬師像を、境内から徒歩約5分の奥の院堂に安置する。
奥の院・霊跡
  • 奥の院は山門より奥約200メートルにある爪彫り薬師堂で、弘法大師が楠の大木に爪で薬師如来を彫ったと伝わる。爪がノミ代わりになったという伝説から「爪彫薬師(つめほりやくし)」と呼ばれる。
  • 爪彫り薬師は首から上(頭・目・耳・鼻など)の病に霊験があるとされ、祠には穴の開いた石が奉納される。願いが叶うと、氏名・年齢・快癒した身体の部位を書いて奉納する習わしがある。
  • 奥の院のそばに、弘法大師が杖を突いて湧出させたと伝わる「お加持水」があり、高知県の名水40選に選ばれている。
  • 納経印には本尊のほか「奥の院爪彫薬師」が授与される。
御本尊と信仰
  • 本尊の大日如来坐像は行基菩薩の作と伝わり、像高約146センチの寄木造で、四国霊場最大級とされる。
  • 脇侍の聖観世音菩薩立像とともに、国の重要文化財に指定されている(明治44年8月9日指定)。
  • 大日如来の光明遍照の信仰の中心とされ、学業成就などを願う参拝者も多いとされる。
  • 首から上の病の平癒は、奥の院の爪彫薬師に向けられる信仰と伝わる(本尊大日如来の帰属ではない)。
文化財・寺宝
  • 木造大日如来坐像(国指定重要文化財、明治44年8月9日指定、像高約146cm、平安時代後期作・本尊)
  • 木造聖観音立像(国指定重要文化財、明治44年8月9日指定、像高約171cm・脇仏)
  • 大日寺(香南市〔旧野市町〕指定史跡、昭和42年7月28日指定)
伝説・説話
  • 弘法大師が楠の大木に爪で薬師如来を彫ったと伝わり、爪がノミになったという伝説がある。奥の院の爪彫り薬師として残る。
  • 立ち木の爪彫薬師は明治の台風で倒れ、現在は倒木から切り出した薬師像を奥の院堂に安置する。
  • 爪彫り薬師は首から上の病に霊験があるとされ、平癒を願って穴の開いた石が奉納されてきた。
文学・和歌
  • 御詠歌「露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みを運ばざらまし」が伝わる。
ゆかりの人物
  • 寺伝では、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創し、弘仁6年(815年)に弘法大師が諸堂を再興したと伝わる。
  • 明治の廃仏毀釈で廃寺となったが、地元の奉賛会が本尊を守り、明治17年(1884年)に再興されたと伝わる。
年中行事
  • 正月三箇日:本尊大日如来宝前で国家泰平・万民豊楽を祈願
  • 節分・星供養(2月3日までの7日間):開運厄除を祈願
  • 3月21日ごろ:弘法大師ご入定の日(正御影供)、大師堂開帳
  • 4月8日:灌仏会(花まつり)
  • 6月15日:弘法大師誕生祭(青葉まつり)
  • 8月盆:施餓鬼会、檀信徒各家の精霊・三界万霊に回向
  • 12月31日23時30分〜翌1時:除夜の鐘(誰でも撞ける)
  • 毎月1回:六角堂で護摩供養
参拝の実際
  • 駐車場は普通車約30台で無料、宿坊はない。
  • 首から上の病に霊験があるとされる奥の院の爪彫り薬師への参拝も親しまれている。境内から徒歩約5分の奥の院堂に安置される。
  • 四国霊場で「大日寺」と称するのは、第4番、第13番と当寺の3か寺とされる。
周辺・遍路道
  • 前の第27番神峯寺からは約37.5キロ、次の第29番国分寺へは約9.2キロの行程とされる。
  • 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線「のいち駅」から約2.0キロで、国道55号に近い。
  • 日本三大鍾乳洞の龍河洞や、高知県立のいち動物公園が周辺にある。
宗派
真言宗智山派
所在地
〒781-5222 高知県香南市野市町母代寺476(Wikipediaでは「母代寺476番地1」)
宝号
南無大師遍照金剛/南無興教大師
前後の札所
順打ちでは前の27番神峯寺から約37.5km(遍路屈指の長丁場)。次の29番土佐国分寺へ約9.2km。
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第28番 法界山 高照院 大日寺 本堂
第28番 法界山 高照院 大日寺 大師堂
第28番 法界山 高照院 大日寺 六角堂
第28番 法界山 高照院 大日寺 山門・門
第28番 法界山 高照院 大日寺 境内・全景
第28番 法界山 高照院 大日寺 鐘楼
第28番 法界山 高照院 大日寺 薬師堂(爪彫薬師・奥の院)

画像著作権表示

  • 本堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 六角堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 鐘楼© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 薬師堂(爪彫薬師・奥の院)© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
15:25

土佐国分寺

札所29番 / 滞在時間 0:35
御本尊千手観世音菩薩
御真言おん ばざらたらま きりく
御詠歌

国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益残せり

国を分けて建てられた国分寺は、功徳の宝を積み重ねて造られた寺であり、末の世まで尽きることのない御利益をこの地に残してくれた。

ご利益諸願成就国土安穏旅の安全

この札所について

土佐国分寺として知られる古刹。千手観音の前で、二日間の巡拝を締めくくります。国分寺は、摩尼山宝蔵院と号する土佐の国分寺で、御本尊は千手観世音菩薩です。聖武天皇が国ごとに国分寺を建立した願いに連なり、土佐では行基菩薩が開山し、天下泰平、五穀豊穣、万民豊楽を祈る寺として始まったと伝えられます。霊場会は、紀貫之が国司として滞在し『土佐日記』の記憶と結びつく国衙が近く、「土佐のまほろば」と呼ばれた土地であることも紹介しています。弘法大師はこの地で星供の秘法を修めたとされ、土佐国分寺は星供の根本道場ともされます。杉苔の庭、国指定文化財の金堂、土佐の政治と祈りの中心地としての歴史を感じながら、第2回の終盤を静かに結びます。
この札所の見どころ
  • 金堂(本堂)永禄元年再建のこけら葺・寄棟造。国重文で、四国霊場を代表する建築の一つ。
  • 土佐の苔寺杉苔の庭園。七重塔の塔心礎を主石とする苔庭が広がる。
  • 星供の根本道場大師が星供秘法を修した地。節分星供で知られ、「星供大師」とも呼ばれる。
  • 紀貫之ゆかり土佐国司として滞在した国府の地。境内北東に紀貫之邸跡が残る。
  • 仁王門明暦元年に山内忠義が寄進した入母屋造の楼門。
  • 花の寺牡丹・あじさい・紅葉など四季の花が楽しめる。
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

寺伝では天平13年(741年)、聖武天皇の国分寺建立の詔を受け、行基菩薩が千手観世音菩薩を刻んで本尊とし開創したと伝わる。当初は「金光明四天王護国之寺」と称した。発掘調査では天平勝宝8歳(756年)前後の創建を示す遺構が確認され、奈良時代の土佐国分僧寺の跡として、境内全域が国の史跡に指定されている。弘仁6年(815年)には弘法大師空海が巡錫し、自ら毘沙門天を刻んで奥の院に安置、当地で厄除けの星供(ほしく)秘法を修したと伝わる。以来、土佐国分寺は星供の根本道場とされ、大師像は「星供大師」と呼ばれる。山号の摩尼山は如意宝珠(摩尼)にちなみ、院号の宝蔵院は経蔵・宝蔵に由来するとされる。寺号の国分寺は、諸国に置かれた国分寺の制に基づく。本尊の千手観音は秘仏とされ、御詠歌は「国を分け宝を積みて建つ寺の末の世までの利益残せり」と詠む。

弘法大師との関わり

弘仁6年(815年)、42歳の厄年にあたる弘法大師が当寺を訪れ、自ら毘沙門天像を刻んで奥の院・南国市岡豊町滝本の毘沙門堂に安置したと伝わる。境内で星供(ほしく)の秘法を修したことから、土佐国分寺は「星供の根本道場」とされ、大師像は「星供大師」と称される。星供は、当年星・本命星や北斗七星を祀って厄災を除く真言密教の修法で、現在も2月3日の節分星祭りで「節分星供」が営まれる。空海は滝の音に導かれて身を清めてから当寺を訪れたとの伝承もある。

歴史
  • 741年(天平13):聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる。「金光明四天王護国之寺」と称す(伝承)
  • 756年(天平勝宝8歳)前後:国分寺建立詔に基づき土佐国分僧寺が創建されたとみられる(発掘調査による推定)
  • 815年(弘仁6):弘法大師空海が巡錫し、毘沙門天を刻んで奥の院に安置、星供秘法を修したと伝わる
  • 平安時代(930〜934年頃):紀貫之が土佐国司として在任し、当地に滞在(『土佐日記』の作者。在任時期には諸説あり)
  • 1558年(永禄元):長宗我部国親・元親により金堂(本堂)が再建
  • 1634年(寛永11):大師堂建立
  • 1655年(明暦元):土佐藩2代藩主山内忠義が仁王門(山門)を寄進
  • 1904年(明治37):金堂が重要文化財に指定(旧国宝)
  • 1922年(大正11)10月12日:境内全域が国の史跡に指定
  • 1995年(平成7)11月:光明殿竣工
  • 2024年(令和6)1月:開山堂を改築
伽藍・主要堂宇
  • 永禄元年(1558年)再建の金堂(本堂)は、こけら葺(柿葺)・寄棟造で、国の重要文化財に指定されている。天平様式を受け継ぎつつ室町時代の特色を残す、四国霊場を代表する建築の一つとされる。
  • 明暦元年(1655年)に土佐藩2代藩主山内忠義が寄進した仁王門(山門)は入母屋造の楼門で、金剛力士(仁王)像を安置する。
  • 境内は、寛永11年(1634年)建立の大師堂、平成7年(1995年)竣工の光明殿、令和6年(2024年)改築の開山堂などで構成される。
  • 杉苔に覆われた庭園が広がり、「土佐の苔寺」と称される。創建当時の七重塔の塔心礎を主石とする苔庭が残る。
  • 2019年春には、本堂内の一室を活用した「お寺カフェ」を開設。赤い絨毯を敷いた室内で、庭園を眺めながら休憩できる(詳細は参拝の実際を参照)。
奥の院・霊跡
  • 奥の院は、境内から離れた南国市岡豊町滝本の毘沙門堂。弘法大師が自ら刻んで安置したと伝わる毘沙門天像を祀る。近くには毘沙門の滝(落差30メートル、南国市指定名勝)もある。
  • 境内北東約1キロメートルに、『土佐日記』の作者・紀貫之が土佐国司として4年間滞在した国府の地とされる紀貫之邸跡が残る。
  • 境内全域は、奈良時代の土佐国分僧寺の跡として国の史跡に指定されている。発掘調査では、天平勝宝8歳(756年)前後の創建を示す遺構が確認された。
  • 境内には高浜虚子一門をはじめとする句碑が多数立ち、弥生時代の住居跡も残る。
御本尊と信仰
  • 本尊の千手観世音菩薩は秘仏で、行基作と伝わる。当初は「金光明四天王護国之寺」と称した国分寺の巡拝本尊とされる。
  • 弘法大師が42歳の厄年に当地で厄除けの星供(ほしく)秘法を修したことから「星供の根本道場」とされ、大師像は「星供大師」と呼ばれる。
  • 星供は、当年星・本命星や北斗七星を祀って厄災を除く真言密教の修法。節分に営まれる「節分星供」で厄災を除く信仰が続く。
文化財・寺宝
  • 国指定重要文化財:金堂(本堂)。永禄元年(1558年)再建、寄棟造・柿葺。明治37年(1904年)指定
  • 国指定重要文化財:木造薬師如来立像(平安時代中期、像高99.6cm、檜材一木彫)。明治44年(1911年)指定
  • 国指定重要文化財:木造薬師如来立像(鎌倉時代、像高35.1cm、寄木造・漆箔・玉眼)。平成5年(1993年)指定
  • 国指定重要文化財:梵鐘(平安時代前期、高知県最古の梵鐘。口径47.2cm、高さ80.6cm)。昭和31年(1956年)指定
  • 国指定史跡:土佐国分寺跡(奈良時代創建の国分僧寺跡)。大正11年(1922年)10月12日指定
  • 高知県指定有形文化財:本堂の厨子・須弥壇
  • 高知県指定有形文化財:絹本著色両界曼荼羅(室町時代作)
  • 南国市指定有形文化財:板絵両界光明真言曼荼羅2枚
  • 南国市指定有形文化財:海獣葡萄鏡・常滑焼甕2口
伝説・説話
  • 弘仁6年(815年)、42歳の厄年にあたる弘法大師が毘沙門天像を刻んで奥の院・南国市岡豊町滝本の毘沙門堂に安置し、星供秘法を修したと伝わる。
  • 空海は滝の音に導かれて身を清めてから当寺を訪れたとの伝承もある。
  • 聖武天皇の国分寺建立の詔を受け、行基菩薩が千手観世音菩薩を刻んで開創したと伝わる(寺伝)。
文学・和歌
  • 御詠歌「国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益残せり」が伝わる。
  • 『土佐日記』の作者・紀貫之が土佐国司として滞在した国府の地にあり、境内には高浜虚子一門をはじめとする句碑が多数立つ。
ゆかりの人物
  • 天平13年(741年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる。
  • 弘仁6年(815年)、弘法大師空海が巡錫し、星供秘法を修したと伝わる。
  • 永禄元年(1558年)に長宗我部国親・元親により金堂(本堂)が再建された。
  • 紀貫之が土佐国司として在任し、当地に滞在したとされる(在任時期には諸説あり)。
年中行事
  • 毎月21日 午前6時:大師堂にて御影供を勤修
  • 毎月28日 午前6時:光明殿不動堂にて護摩供を勤修
  • 1月:文化財防火デー・消防訓練
  • 2月3日:節分星祭り(節分星供・厄除けの星供秘法)
  • 3月:春彼岸会、春の団参
  • 旧暦4月8日:花まつり(甘茶接待)
  • 7月:新盆
  • 8月:月遅れ盆・旧盆、十七夜祭・国分寺大祭
  • 9月:秋彼岸会、秋の団参
  • 11月:別院大聖寺大祭
  • 12月:除夜
参拝の実際
  • 2019年春に、本堂内の一室を活用した「お寺カフェ」が開設された。営業時間は9:00〜16:30。赤い絨毯を敷いた室内で、庭園を眺めながら抹茶と和菓子のセット(お抹茶セット700円)が味わえる。
  • 拝観は8時から17時。納経受付時間は公式に明記がなく、四国霊場の標準(7時から17時)とする資料もある。
  • 駐車場は普通車約45台・大型車5〜7台で無料。宿坊はない。
  • JR土讃線「後免駅」から約3.0キロ。南国市コミュニティバス「国分寺通」下車、徒歩約0.5キロ。
周辺・遍路道
  • 前の第28番大日寺からは約9.2キロ、次の第30番善楽寺へは約6.9キロ。
  • 高知自動車道「南国IC」から約2.6キロ。道の駅南国前を経由して県道45号へ入る。
  • 春は牡丹・花まつり、梅雨はあじさい、秋は紅葉と、四季の花が楽しめる花の寺としても親しまれる。
宗派
真言宗智山派
所在地
〒783-0053 高知県南国市国分546
宝号
南無大師遍照金剛/南無興教大師
前後の札所
前の札所:28番大日寺から約9.2km。次の札所:30番善楽寺へ約6.9km。
Googleマップ霊場会ページ
IG
第29番 摩尼山 宝蔵院 国分寺 本堂
第29番 摩尼山 宝蔵院 国分寺 境内・全景
第29番 摩尼山 宝蔵院 国分寺 大師堂
第29番 摩尼山 宝蔵院 国分寺 山門・門
第29番 摩尼山 宝蔵院 国分寺 鐘楼

画像著作権表示

  • 本堂© Saigen Jiro / Wikimedia Commons / CC0
  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 山門・門© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 鐘楼© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
16:20

善楽寺

札所30番 / 滞在時間 0:40
御本尊阿弥陀如来
御真言おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌

人多くたち集まれる一ノ宮 昔も今も栄えぬるかな

土佐一ノ宮のこの地(善楽寺)には多くの人が集い参り、昔も今も変わらず栄え続けていることだ。

ご利益極楽往生家内安全身心安穏

この札所について

土佐一宮のほとりにある第三十番札所。阿弥陀如来の前で、土佐中央部の巡拝を結びます。善楽寺は、百々山東明院と号する第三十番札所で、御本尊は阿弥陀如来です。土佐国一宮である土佐神社のすぐ隣にあり、古くは一宮の別当寺として神仏習合の祈りを担ってきた札所です。公式案内では、納経時間は八時から十七時までとされるため、今回の行程では土佐国分寺から車で約二十分移動し、十六時二十分に参拝を始めて十七時に結ぶ時間配分にしています。境内では子安地蔵堂や、首から上の病や悩みに霊験があるとされる梅見地蔵も知られます。次の第三十一番竹林寺へ進む前に、阿弥陀如来の救いと一宮の古い信仰を重ねて受け止める場所です。室戸から始まった二日目を、土佐の古社と札所が並ぶ一宮の地で静かに締めくくります。
この札所の見どころ
  • 遍路迷わせの札所善楽寺と安楽寺の30番問題。平成6年に札所・奥の院で決着。
  • 梅見地蔵首から上の病や悩みに利益があるとされる1816年建立の地蔵。
  • 子安地蔵大師作と伝わる地蔵。安産・子宝祈願で知られる。
  • 白岩不動飛び地境内の幽谷。11月28日に護摩法要が営まれる。
  • 土佐一ノ宮土佐神社の別当寺。東隣に位置し、神仏習合の歴史を残す。
  • 女性住職高知県内の札所では唯一とされる女性住職の寺。
さらに詳しく(縁起・歴史・伽藍・信仰・参拝)
縁起

寺伝によれば、大同年間(806〜810年)、弘法大師空海が土佐国一宮・高鴨大明神(現在の土佐神社)を訪れ、その別当寺として神宮寺とともに善楽寺を開創し、霊場と定めたと伝わる。本尊の阿弥陀如来も空海の作と伝える。山号「百々山(どどさん)」は、空海が国中の谷を数えたところ九十九谷しかなく、足りない一谷を当寺の開創で補って百谷としたことに由来するという。長く土佐神社の別当寺として栄え、江戸期には一時「長福寺」と号したが、九代将軍徳川家重の幼名(長福丸)を憚って善楽寺に改めたと伝わる。明治初年の神仏分離・廃仏毀釈により廃寺となり、本尊の阿弥陀如来は二十九番国分寺に預けられて、国分寺が納経を代行した。のちに本尊は南西約5.5kmに再興された安楽寺へ移された。昭和初期、埼玉県から東明院を移してこの地に再興され、寺号と霊場がよみがえった。院号「東明院」は、この再興のときに移された院号に由来する。

弘法大師との関わり

寺伝では、大同年間に弘法大師空海が土佐国一宮の別当寺として開創し、本尊の阿弥陀如来も空海の作と伝える。山号「百々山」は、空海が国中の谷を数えたところ九十九谷しかなく、当寺の開創で一谷を補って百谷とした伝承に由来するという。境内の子安地蔵は弘法大師の作と伝わり、大師が難産の妊婦のために祈祷して安産を成就させたという伝説をもつ。安産・子宝祈願の信仰を集める。大師堂は大正期の建立で、「厄除け大師」として知られる。

歴史
  • 大同年間(806〜810年)/大同5年(810年): 弘法大師空海が土佐国一宮・高鴨大明神(土佐神社)の別当寺として善楽寺を開創(寺伝)
  • 応仁年間(1467〜1469年頃): 兵火により焼失と伝わる(年代・詳細は伝承)
  • 1658年(万治元年): 長福寺に改名と伝わる
  • 1721年(享保6年)頃: 九代将軍徳川家重の幼名「長福丸」を憚り、長福寺から善楽寺に改名と伝わる
  • 明治初年(明治元年〜): 神仏分離・廃仏毀釈により廃寺。本尊阿弥陀如来は29番国分寺に預けられ納経を代行
  • 1875年(明治8年)※明治9年とする資料もあり: 南西約5.5kmに再興された安楽寺へ本尊阿弥陀如来像が移され、安楽寺が30番札所となる
  • 1929年(昭和4年)※1930年(昭和5年)とする資料もあり: 埼玉県から東明院を当地へ移転し、江戸期作の阿弥陀如来坐像を本尊に迎えて再興。30番札所が善楽寺・安楽寺の2か所並立となる
  • 1964年(昭和39年): 四国開創1150年を機に両寺代表が協議し、善楽寺を「開創霊場」、安楽寺を「本尊奉安霊場」と称することで一旦合意するも混乱は続く
  • 1983年(昭和58年): 本堂を改築
  • 1994年(平成6年)1月1日: 札所を善楽寺、安楽寺を奥の院とすることで最終決着。本尊(旧本尊・重文)は安楽寺に安置のまま、安楽寺住職が両寺を兼務する形に
  • 2005年(平成17年): 地蔵堂を改築
  • 2016年(平成28年): 女性住職が就任(当時32歳)と報じられる
伽藍・主要堂宇
  • 昭和58年(1983年)改築の本堂を中心に、大正期建立の大師堂(厄除け大師として知られる)、子安地蔵堂、薬師堂が並ぶ。
  • 弘法大師作と伝わる子安地蔵を祀る子安地蔵堂がある。大師が難産の妊婦を祈祷で救った伝説にちなみ、安産・子宝祈願の信仰を集める。
  • 高さ約8メートルの十一面観音像や、天邪鬼(あまのじゃく)が支える手水舎など、個性的な石像・小坊主像が境内に点在する。
  • 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)を手洗い・トイレに祀る。
  • 平成17年(2005年)に地蔵堂を改築した。
奥の院・霊跡
  • 奥の院は、南西約5.5キロメートルの高知市洞ヶ島町5-3にある安楽寺。平成6年(1994年)に善楽寺を札所、安楽寺を奥の院とすることで30番札所問題が決着した。現在は安楽寺住職が両寺を兼務する。
  • 廃寺と本尊の移座により、再興後は善楽寺と安楽寺が長く同じ30番を名乗り、巡礼者を混乱させた。かつて「遍路迷わせの札所」と呼ばれた。
  • 国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像(13世紀作、像高68.5センチ)は安楽寺に安置される。善楽寺本堂の現本尊は、江戸期作の別の像とされる。
  • 飛び地境内の白岩不動は、昼でも暗い幽谷にある聖地で、11月28日午前10時に護摩法要が営まれる。
御本尊と信仰
  • 本尊の阿弥陀如来は弘法大師の作と伝わる。長く土佐国一宮・土佐神社の別当寺として栄えた阿弥陀の霊場とされる。
  • 子安地蔵は弘法大師の作と伝わる。大師が難産の妊婦のために祈祷して安産を成就させたという伝説をもち、安産・子宝祈願の信仰を集める。
  • 梅見地蔵は、首から上(脳の病・ノイローゼ・目・鼻・耳など)の病や悩みに御利益があるとされる珍しい地蔵とされる。
  • 大師堂は大正期の建立で、「厄除け大師」として知られる。
文化財・寺宝
  • 木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財/明治44年(1911年)4月17日指定)。ヒノキの寄木造・玉眼嵌入・漆箔で、像高68.5cm、13世紀(鎌倉時代)の作。中品中生の説法印を結ぶ。もと善楽寺の本尊で、現在は奥の院・安楽寺に安置される(善楽寺本堂の現本尊である江戸期作の阿弥陀如来坐像とは別の像)
伝説・説話
  • かつて「遍路迷わせの札所」と呼ばれた。廃寺と本尊の移座により善楽寺と安楽寺が長く同じ30番を名乗り、巡礼者を混乱させたが、平成6年(1994年)に決着した。
  • 1964年(昭和39年)には、四国開創1150年を機に両寺代表が協議し、善楽寺を「開創霊場」、安楽寺を「本尊奉安霊場」と称することで一旦合意したが、混乱は続いた。
  • 山号「百々山(どどさん)」は、空海が国中の谷を数えたところ九十九谷しかなく、当寺の開創で一谷を補って百谷とした伝承に由来するとされる。
  • 九代将軍徳川家重の幼名(長福丸)を憚って、一時「長福寺」と号したが、のちに善楽寺に改めたと伝わる。
文学・和歌
  • 御詠歌「人多くたち集まれる一ノ宮 昔も今も栄えぬるかな」が伝わる。
ゆかりの人物
  • 大同年間(806〜810年)、弘法大師空海が土佐国一宮・高鴨大明神(土佐神社)の別当寺として善楽寺を開創したと伝わる。
  • 昭和4年(1929年)、埼玉県から東明院を当地へ移転し、江戸期作の阿弥陀如来坐像を本尊に迎えて再興した。
  • 2016年(平成28年)に女性住職が就任し、高知県内の札所では唯一とされる。
年中行事
  • 初祭り(2月1日)
  • 大般若転読大法会(2月1日午後2時、本堂・入堂無料)
  • 節分会(2月3日)
  • 花まつり(4月8日・釈尊降誕会)
  • 薬師堂法要(3月8日)
  • 白岩不動護摩法要(11月28日午前10時、飛び地境内の白岩不動)
参拝の実際
  • 納経時間は8時から17時(令和6年より。以前は7時から17時)。
  • JR土讃線「土佐一宮駅」から約1.5キロ(徒歩約20分)。とさでん交通バス「一宮(いっく)東門」下車で約0.2キロ。
  • 駐車場は普通車20台・大型4台で無料。宿坊はない。
  • 本尊(国重文の阿弥陀如来坐像)の拝観は、奥の院・安楽寺(高知市洞ヶ島町5-3)で行う。安楽寺住職が両寺を兼務する。
周辺・遍路道
  • 前の第29番国分寺からは約6.9キロ、次の第31番竹林寺へは約6.6キロ。
  • 土佐国一宮・土佐神社の東隣に位置する。もとはその別当寺で、神仏習合の歴史を色濃く残す。
  • 高知自動車道「高知IC」から車で約10分。高知市街に近い立地である。
宗派
真言宗豊山派
所在地
〒781-8131 高知県高知市一宮しなね2丁目23番11号
宝号
南無大師遍照金剛/南無興教大師/南無専誉僧正
前後の札所
前後とも遍路道基準で、29番国分寺へ約6.9km、31番竹林寺へ約6.6km
Googleマップ公式サイト霊場会ページ
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第30番 百々山 東明院 善楽寺 本堂
第30番 百々山 東明院 善楽寺 境内・全景
第30番 百々山 東明院 善楽寺 大師堂
第30番 百々山 東明院 善楽寺 像

画像著作権表示

  • 本堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 境内・全景© Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  • 大師堂© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  • 像© Naokijp / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
17:00

高知空港方面タクシー

移動移動時間 0:30
高知空港方面タクシー:高知空港へ向かう方は、善楽寺参拝後に貸切バスから離れてタクシーで移動します。善楽寺周辺から高知龍馬空港までは車で約25〜30分のため、17:00発で17:30頃の到着目安です。
17:30

高知空港

行程時刻目安
高知空港:高知空港方面へ離脱される方の到着目安です。道路状況やタクシー配車状況により前後するため、航空便を選ぶ際は余裕を見てください。
19:45

徳島駅

行程滞在時間 0:15
徳島駅:二日目の徳島駅到着予定です。徳島駅で降車される方は、この時刻を目安にお考えください。
21:00

平等寺

宿泊・帰着時刻目安
平等寺:第2回の最終帰着地です。徳島駅を経由して平等寺へ戻り、二日間の巡拝を結びます。

今後の日程

第二回の先に続く、全七回の遍路旅

第三回以降の日程も、現在予定している宿泊先と札所範囲をまとめています。

第3回

2027年3月6日・7日(土日)
31〜40番

宿泊予定:岩本寺宿坊

宿泊岩本寺宿坊

第4回

2027年6月12日・13日(土日)
41〜50番

宿泊予定:うわパーク

宿泊うわパーク

第5回

2027年10月9日・10日(土日)
51〜65番

宿泊予定:道後温泉内

宿泊道後温泉内

第6回

2028年3月11日・12日(土日)
66〜80番

宿泊予定:琴平温泉内

宿泊琴平温泉内

第7回

2028年6月10日・11日(土日)
81〜高野山

宿泊予定:洲本温泉内

宿泊洲本温泉内

よくあるご質問

印刷用資料

詳しい行程は、
チラシにもまとめています。

A4表裏の印刷用チラシで、当日の時刻表と次回以降の日程を確認できます。
印刷用チラシを開く

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