他化自在天での説法という設定から、日本での読誦本の形成までをたどります。
経の説処は、欲界のいちばん上にある他化自在天の王宮、大摩尼殿です。説主は大毘盧遮那如来、聴衆の中心は金剛手をはじめとする八大菩薩。栂尾祥雲は、この説処の選定に教理的な意味を読み、五欲が最も殊勝である第六天でこそ、大楽の三昧が説かれるにふさわしいと釈しています。
伝来の相承について、栂尾は次の伝えを整理します。金剛智三蔵は渡唐の海難で金剛頂系の広本を失い、この経の講伝の血脈(師資相承の系譜)は龍猛菩薩・龍智菩薩・不空三蔵と数えられて金剛智三蔵を含まない。不空三蔵が再び天竺へ渡り、師子国(セイロン)で龍智菩薩から広本を受得して帰唐し、翻訳した、と。金剛智三蔵訳(大正蔵 No.241)が現存することとこの相承伝承との関係は、伝承の側では説き尽くされていません。日本へはお大師さまが請来し、『御請来目録』に載せて以来、師資相承されてきました。
現行の読誦本には、経文の前後に勧請(諸尊を招き奉る句)・合殺(結びの唱え方を指す声明の語)・回向の句が付されていますが、これらは不空三蔵訳の原本にはない後世の添加です。高雄山に伝わるお大師さま真筆の本にこれらの句がないことから、お大師さまのご入定後の添加であることは確実とされ、通説では康和4年(1102)、明算大徳(高野山の中院流の祖)が高野山で不断経(昼夜絶やさず経を読誦する法会)を始めた際に加えられたとされます(栂尾の結論)。
三句が一度に揃ったのかどうかについては、写本の側から疑問も出されています。松長有慶は、十二世紀の写経を比べると、付加句をまったく持たないもの、勧請の句だけを持つもの、回向の句だけを持つもの、三句が揃うものが入りまじっていることを指摘し、平安時代の末までに順次書き加えられていったと見るほうが実態に近いと述べました。読誦本の末尾に置かれる「毘盧遮那仏」の唱和も、経文にはない添加です。高野山では九返をとなえます。松長は、これを「南無阿弥陀仏」に代わる真言宗の念仏と見て、念仏信仰の盛んな時代に加えられたのではないかと推定しています。
読み方にも、この経だけの慣例があります。日本の仏典は呉音(南朝系の字音)で読むのが普通ですが、理趣経は漢音(唐の都の字音)で読みます。冒頭の「如是我聞」は「じょしがぶん」。呉音で読めば「にょぜがもん」です。内容を聞き取らせないために漢音にしたのだという説明が古くからありますが、松長有慶はこれを認めません。字音を替えても同じ漢文であって、意味が隠れるわけではない。奈良時代から平安初期にかけて朝廷が漢音による読経を奨めた、その方針に従った結果だろう、という見方です。
成立の時期と場所そのものについては、断定できる一次史料がありません。玄奘三蔵訳(663年訳了の『大般若経』所収)が最も早い漢訳の証言であり、8世紀に金剛智三蔵・不空三蔵の系統で密教経典としての形が確立し、10世紀の宋代訳と蔵訳の広本系で儀軌化が進んだ、という伝本の階梯が、現在たどることのできる確かな道すじです。
序分の全文を見る
- 日本語訳
- このように私は聞いた。あるとき、薄伽梵(世尊)は、殊勝なる一切如来の金剛加持三昧耶の智を成就し、すでに一切如来の灌頂の宝冠を得て三界の主となり、すでに一切如来の一切智智を証して瑜伽自在であり、よく一切如来の一切印平等の種々の事業をなし、尽きることなき一切衆生界において一切の意願にもとづくはたらきをみな円満し、常に三世の一切時にわたって身語意の業が金剛である、大毘盧遮那如来であられた。欲界の他化自在天王の宮中、一切如来が常に遊ばれる、吉祥にして称歎される大摩尼殿に在って、八十倶胝の菩薩衆とともにおられた。いわゆる金剛手・観自在・虚空蔵・金剛拳・文殊師利・纔発心転法輪・虚空庫・摧一切魔の菩薩摩訶薩である。このような大菩薩衆に恭敬し囲繞されて、法を説かれた。
- 原文
如是我聞。一時。薄伽梵。成就殊勝一切如來金剛加持三麼耶智。已得一切如來灌頂寶冠。爲三界主。已證一切如來一切智智瑜伽自在。能作一切如來一切印平等種種事業。於無盡無餘一切衆生界。一切意願作業。皆悉圓滿。常恒三世一切時。身語意業金剛。大毘盧遮那如來。在於欲界他化自在天王宮中。一切如來常所遊處。吉祥稱歎大摩尼殿。種種間錯鈴鐸繒幡微風搖撃。珠鬘瓔珞。半滿月等。而爲莊嚴。與八十倶胝菩薩衆倶。所謂金剛手菩薩摩訶薩。觀自在菩薩摩訶薩。虚空藏菩薩摩訶薩。金剛拳菩薩摩訶薩。文殊師利菩薩摩訶薩。纔發心轉法輪菩薩摩訶薩。虚空庫菩薩摩訶薩。摧一切魔菩薩摩訶薩。與如是等大菩薩衆。恭敬圍遶而爲説法。
- 出典
- 不空訳『大楽金剛不空真実三麼耶経』(大正蔵 No.243、第8巻784頁上段14〜29行)
金剛頂経第六会とする弘法大師の記述を見る
- 日本語訳
- この経は、金剛頂瑜伽経の第六の会である。金剛頂経には十万頌・十八会があり、いずれも龍猛菩薩が南天の鉄塔の中で誦出した、如来秘密蔵の根本である。応化仏が説いた教えとは異なり、三世の一切如来がみな、この門から成仏する。
- 原文
此經者金剛頂輸伽經第六之會。金剛頂經有十萬頌十八會。并是龍猛菩薩南天鐵塔中所誦出如來秘密藏之根本。不同應化佛所説。三世一切如來皆從此門而成佛。
- 解説
- 出典
- 空海『理趣経開題』(大正蔵 No.2236、第61巻)