峰入りとは、いったん死んで、新しく生まれ直すこと。
修験道の中心となる行は、霊山に分け入る峰入り(入峰修行)です。山林抖擻ともいいます。
抖擻とは、煩悩(心を乱す迷い)の塵を振るい落とすこと。衣食住への執着を払う修行を指す頭陀と、もとは同じ言葉です。山に分け入り、滝に打たれ、寝食を切りつめて歩む。その歩みそのものが、心の塵を払い落とす行になります。
峰入りの中心にあるのは、擬死再生、いったん死んで生まれ直すという考え方です。日ごろの自分がいったん死に、山という母胎に抱かれて清まり、新しく生まれ直す。出羽三山では、山に入る前に行者を死者に見立てる葬送の儀式を行い、羽黒山・月山・湯殿山をめぐる「生まれかわりの旅」として峰を歩みます。母胎をかたどった岩穴をくぐる胎内くぐりも、この死と再生に由来します。
山中では、一つ一つの行を、地獄から仏までの十の境涯(十界)に割り当て、十界のすべてをこの身で修めます。これを十界修行といいます。なかでも知られるのが、大峯山の「西の覗き」。命綱に身を支えられて断崖から上体を投げ出し、「懺悔懺悔、六根清浄」と唱える、捨身(身を仏に投げ出すこと)の行です。吉野から熊野へ尾根を越える大峯奥駈道は、世界遺産にも登録された、修験道の最もきびしい道のりです。
その大峯で、役行者が祈りのすえに感得(心に見ること)したと伝わるのが、蔵王権現です。日本の山で生まれた尊格とされます。忿怒の形相で片足を高く上げ、背に火炎を負い、迷いを打ち砕く力を示します。修験を代表する尊です。
出羽三山の「生まれかわりの旅」
羽黒山現在の世
いま生きているこの世。旅はここから始まります。
月山過去の世(死後)
行者はいったん死者となり、山の母胎に抱かれます。
湯殿山未来の世(再生)
清まって、新しく生まれ直して下山します。
峰入りの中心にあるのは、いったん死んで生まれ直すという擬死再生(ぎしさいせい)です。出羽三山では、入峰の前に行者を死者に擬する葬送を行い、三山をめぐって新しく生まれ直します。山を歩むこと自体が、死と再生をたどる行になっています。十界修行で、どの境涯をどの行になぞらえるかは、流派や時代によって伝え方が異なります。本記事は、その概観を示すものです。