正面の三面
慈悲相
善き行いの人を見て慈しみの心をおこし、楽しみを与えます。
十一の面は、苦しみを見落とさないための顔
平等寺の持仏堂には、十一面観世音菩薩をお祀りしています。本堂の本尊が薬師如来であるのに対し、持仏堂の本尊として、日々の祈りを受け止めてくださるのが、この十一面観音さまです。
一木造の立像で、頭上に十一面をあらわし、蓮華と水瓶を持つお姿です。弘法大師の巡錫の頃にはすでにお祀りされていたと、寺伝に伝わります。古い口決は、この水瓶に慈悲の水、甘露が満ちると伝え、流行り病のときにはこの尊の法を修するのだとも説いてきました。
平等寺には、薬師如来への信仰と、観音さまへの信仰の、両方が重なっています。本尊 薬師如来の別名「醫王善逝」にちなむ「醫王院」と、十一面観音の光明にまつわる「日光院」。二つの院号は、平等寺の祈りに薬師と観音の両方が息づいていることを、今に伝えています。

持仏堂へお参りの際は、納経所へお声がけください。行事のない時間には、堂内でお参りいただけます。十一面観音さまの前では、後ほどご紹介する真言をとなえ、静かに手を合わせます。
加持水を汲もうとした朝、水面に映った日光を、十一面観音のお姿と受け止めた。これが院号「日光院」のいわれです。
加持水を汲もうとした朝、水面に日光が映って、院内を明るく照らしたと伝えられます。この大きな光は、十一面観音のお姿と受け止められ、方丈の本尊として十一面観音が祀られました。
白い霊水と朝の光にまつわる開創の情景が、院号「日光院」に残されています。寺名の「平等寺」もまた、薬師如来が人々を分け隔てなく救うという誓いに由来すると、寺の由来記は伝えます。
平等寺の歩みは「平等寺の歴史」、開創のいわれは「平等寺由来記」で、くわしくお伝えしています。
観音さまが、救う相手やはたらきに応じて姿を変えてあらわれる。それが変化観音です。十一面観音は、頭上の十一の面であらゆる方向を見渡し、どの方角の、どんな人の苦しみにも応じて救うとされます。
十一の面は、それぞれ違う表情をしています。喜ぶ者にはともに喜び、悪をなす者には怒りをもって正し、どの方向の苦しみにも応じて姿を変えながら救う。そのはたらきを、十一の面という形で表しています。
もともと「十一面」とは、観音さまがとなえる心真言の名でした。その心真言にこめられた、あらゆる方向へ向かって衆生を救おうとする大悲のはたらきが、やがて十一の面をもつお姿として表されるようになったのです。
正式には十一面観世音菩薩。梵語(古代インドの言葉)では「十一の面をもつ観自在」を意味します。日本では、変化観音のなかでもっとも早く信仰されはじめた仏として、奈良時代から数多くのお像がつくられてきました。
十一の面の意味は、経典に説かれるお姿と、注釈書に残るはたらきの解説から、うかがい知れます。五つの組を順に見ていきます。
面の数え方はひとつではありません。呼び名は十一面。ただ、この十一の面をいただいている、観音さま本来のお顔まで数えれば十二にもなります。注釈書は、この十一と十二の関係を三つの組で説きます。頂上の仏面はさとりの結果(果)、もとの顔は修行の原因(因)。上の十一面は人々を導くための方便の顔、もとの一面は本来の真実の顔。正面の慈悲の顔が文、左の怒りの顔が武にあたります。どの面も、苦しむ人を救いへ導く観音さまのはたらきのあらわれです。
頂上の大きな仏面と、各面の宝冠に宿る小さな化仏は別のものです。古い訳は、宝冠の化仏を阿弥陀仏と明示します。なお、千手観音もまた、頭上に十一の面をいただきます。
正面の三面
善き行いの人を見て慈しみの心をおこし、楽しみを与えます。
左の三面
悪い行いの人を見て悲しみの心をおこし、怒りをもって苦しみから救おうとします。
右の三面
清らかに励む人を見てたたえ、いっそう仏の道へと進ませます。
後ろの一面
善も悪も入りまじった人を見て、大笑いして悪を改めさせ、道へ向かわせます。
頂上の一面
大乗の教えを修める人に、究極の仏の道を説きます。
お像の腕の数には、二臂(腕が二本)と四臂の二通りが経典に説かれます。日本で広まったのは二臂の姿で、左手に蓮華をさした水瓶を持ち、右手に数珠をかけて施無畏(人々の恐れを取り除く印)をあらわします。
経典には、この観音さまをとなえて、この身のままで得られる利益が説かれます。なかでも有名なのが「十種勝利」と「四種功徳」です。
さらに四種の功徳として、命を終えるとき諸仏を見たてまつること、悪い世界(悪趣)に堕ちないこと、険しい災いによって死なないこと、極楽世界に生まれることが説かれます。無病や災いを避けることなど、現世を健やかに過ごす願いと、臨終ののちの極楽往生が、ともに説かれているのが十一面観音の経典の特徴です。
十一面観音が病気平癒・無病息災・厄除けの観音さまとして親しまれてきたのは、この経典の説きに根ざしています。平等寺の持仏堂の本尊として、日々の祈りをお受けしています。
病気のある方は、必要な受診、検査、服薬、治療を続けながらお祈りください。祈りは医療の代わりや、治癒の保証になるものではありません。
玄奘訳の流布が、中国と日本での盛んな造像をうながしました。十一面観音は、変化観音のなかでもっとも広まった形式となりました。
奈良時代には、病気治癒など現世の願いの本尊として、多くのお像がつくられました。法隆寺金堂の壁画にも、十一面観音とみられる尊像が描かれています。経典は小さなお像を造るよう定めますが、日本では等身を超える大像も数多く造られ、右手に錫杖、左手に蓮華をさした水瓶を持ち岩上に立つ「長谷寺式」のような、日本独自の像容も生まれました。
東大寺二月堂の「お水取り」は、正式には「十一面悔過」といい、本尊の十一面観音に罪を懺悔し、国の安らかさと人々の幸いを祈る法会です。天平勝宝四年(752)以来、絶やさず続けられています。
十一面観音は、六道(迷いの世界)の衆生を救う「六観音」の一尊にも数えられ、おもに修羅道を救う観音として配当されます。
観音さまの縁日は18日とされます。平等寺では、この観音縁日にあわせて、毎月18日の夜に十一面観音さまの御前で「十一面観音護摩」を修しています。
護摩とは、護摩炉に智火(仏の智慧の火)を燈し、護摩木を炎に投じながら真言をとなえて修する、真言宗の祈りの作法です。無病や災い除けなど、経典に説かれる十種勝利への願いを智火に託します。
息災とは、病や災い、障りを静め、穏やかな日々を願うことです。無病息災・病気平癒・厄除けの願いを託していただけます。オンラインからもお申し込みいただけます。
十一面観音さまに手を合わせるとき、次の真言をおとなえします。まずは、二番目の「おん まか きゃろにきゃ そわか」からで十分です。
おん ろけい じんばら きりく
oṃ lokeśvara hrīḥ
観音さまへの帰依をあらわす真言です。むすびの「きりく」は、蓮華部の種子(しゅじ。仏を一字であらわす梵字)です。
おん まか きゃろにきゃ そわか
oṃ mahā-kāruṇika svāhā
「おお、大悲者よ」と、観音さまの大いなる慈悲に帰依する真言です。根本の経典が観音を「大悲者(莫訶迦嚧尼迦)」とたたえる言葉に由来し、十一面観音にもっとも広くおとなえされています。
タニャタ オン タラタラ チリチリ トロトロ イテイハテイ シャレイシャレイ ハラシャレイ クソメイ クソメイ ハレイ イリビリ シリシリ チ ジャラ マハノウヤ ハリ マ シュダサトバ マカキャロニキャ ソワカ
tadyathā oṃ dhara dhara dhiri dhiri dhuru dhuru iṭṭe vaṭṭe cale cale pracale pracale kusume kusuma-vare ili mili citi jvalam-āpanaya śuddha-sattva mahā-kāruṇika svāhā
経典に説かれる、「十一面」という名の根本の心真言(長い真言)です。十種勝利などの利益は、この心真言を百八遍となえることに説かれています。
「おん まか きゃろにきゃ そわか」は、観音さまの大悲をたたえる真言で、十一面観音にも広くおとなえします。十一面観音に固有の真言は、三番目の長い心真言(十一面神咒)です。まずは短い真言から、観音さまの大悲へ心を向けてください。
平等寺では、五尊の月例護摩をオンラインで受け付けています。願いごとに近い仏さまを選び、申込画面で内容を確かめられます。
本ページは、平等寺の持仏堂本尊と寺伝を中心に、本文に直接関わる原典と研究を選んで示しています。漢訳経論は大正新脩大藏經(CBETA)で確認しました。一般的な教義・伝来・図像に関する詳しい書誌は、解説記事にまとめています。
解説記事「十一面観音とは」の詳しい参考文献を見る