経典の言葉(名の由来・書き下し)
- 日本語訳
- よく忍んで動じないことは大地のようであり、静かな禅定の深く秘められたことは、地中の伏蔵(隠された宝の蔵)のようである。
- 原文
安忍不動なること猶お大地の如く、静慮深密なること猶お秘蔵の如し。
- 解説
- 一切の苦を担って動じない「地」。無尽の功徳を内に秘める「蔵」。この二句が、そのまま名の意味です。
- 出典
- 玄奘訳『大乗大集地蔵十輪経』「序品」(大正蔵 No.411)
いちばん苦しい者のそばへ

自らの成仏を後にして、まず苦しむ者を救う。『地蔵菩薩本願経』は、お地蔵さまの願いをそう伝えます。
お地蔵さまは、いちばん苦しむ者のそばに立つ菩薩です。亡き人をやすらぎへ導き、幼い子を守り、道ゆく人を見守る。平等寺では、毎月24日の夜に地蔵護摩を修して、この祈りをお届けしています。
菩薩とは、自らさとりを求めながら、苦しむ人々とともに仏道を歩み、救いを実践する存在です。『地蔵菩薩本願経』では、地蔵菩薩は自らの成仏を後にして、まず六道で苦しむ者を救い尽くそうと誓います。
お釈迦さまが入滅したのち、次の仏である弥勒仏が世に出るまで、この世で教えを説く仏が現れない長い時代が続くとされます。この「無仏の世」で衆生(生きとし生けるもの)を導く菩薩こそ地蔵である。『十輪経』は、冒頭でそう紹介します。
その救いは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの世界)のすべてに及びます。亡き人には、やすらぎへの道のりに寄り添う。もし地獄の底に堕ちた者がいれば、そこまでも降りていって救い出す。幼い子や道ゆく人は、日々のかたわらで守る。日本でお地蔵さまがこれほど親しまれてきたのは、この誓いのゆえです。
梵語ではクシティガルバ(Kṣitigarbha)。「大地の蔵」という意味です。
大地のように動じない。伏蔵(地中に隠された宝の蔵)のように、はかりしれない徳を内に秘める。「地蔵」の名は、この二つのたとえから来ています。
道ばたのお地蔵さまの、あの名の由来です。経典は地蔵菩薩の功徳をたとえで連ねて、名の意味を端的に示します。
安忍不動なること猶お大地の如く、静慮深密なること猶お秘蔵の如し。
訳者は、『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵です。唐代の訳出事情を確認しやすい『十輪経』は、地蔵の名と姿をたどる重要な拠りどころです。
『地蔵菩薩本願経』では、地蔵菩薩は、苦しむ衆生をすべて救い終えてから自ら仏道を成就しようと誓います。この根本の誓いを本願といいます。
実叉難陀訳と伝える『地蔵菩薩本願経』は、はるかな過去世に大長者の子であった地蔵が、仏の御前で立てた誓いをこう記しています。
我れ今、未来際を尽くし、不可計劫、是の罪苦の六道の衆生の為に、広く方便を設け、尽く解脱せしめて、而して我が自身は、方に仏道を成ぜん。
広く知られる「地獄未だ空しからずんば誓って成仏せず」の対句は、後世に広まった標語で、『本願経』の経文そのものには見当たりません。後代の施餓鬼の儀礼書『瑜伽集要焰口施食儀』(大正蔵 No.1320)に、地蔵を招き奉る定型の句として見えるものです。経が説く本願の趣旨は、上の言葉のとおりです。
菩薩でありながら、宝冠も瓔珞(宝石を連ねた飾り)もまとわず、剃髪した出家者の姿。この僧形にも、経典の裏づけがあります。
『十輪経』の冒頭で、地蔵は声聞形と呼ばれる出家者の姿、剃髪して袈裟をまとった修行僧の姿で、お釈迦さまの会座にあらわれます。
仏のいない濁った世で、いちばん身近な出家者の姿をとり、六道のどこへでも分け入って、苦しむ者のかたわらに立つ。日本のお地蔵さまが僧の頭と僧衣で造られるのは、この経の意にかなっています。
日本の事相書(修法の次第と口伝を記した書)は、この姿の意味を三つに読み解いてきました。世俗を出るすがたであること、六道の辻に立って行き交う者を救うこと、釈尊から末の世を託されて濁世の衆生を済度すること。剃髪と袈裟は、そのままはたらきのあらわれです。
神通力を以て、声聞の像を現じ、南方より来たる。
遊行の僧が地を突いて歩む杖。六道を歩いて衆生を訪ね、地獄の門をも開く、めぐり歩く救済者であることをあらわします。
衆生の願いを満たす如意の珠。お地蔵さまの徳を象徴します。
錫杖と宝珠を執るお姿の出典は、不空訳と伝える念誦法です。内には菩薩の行を秘め、外には比丘(出家者)の相を現ずと説き、手には宝珠と錫杖を持たせます。いっぽう善無畏訳の儀軌は、同じ声聞形でも蓮華と施無畏(おそれを取り除く印)を説きます。日本の事相書はこの二系統を並べて突き合わせており、すべての地蔵像が錫杖を持つわけではありません。
地蔵を説くおもな経典は、『地蔵菩薩本願経』『大乗大集地蔵十輪経』『占察善悪業報経』の三つ。あわせて地蔵三経と呼ばれます。
なかでも『本願経』が伝えるのは、亡き母を救う二つの物語です。婆羅門女も光目女も、亡き母のために供養を修め、母を苦しみから救い出します。そしてそのあとで、すべての衆生を救うという大きな誓いを立てました。子が亡き親のために善をいとなみ、その功徳が亡き人に届く。この物語は、東アジアの追善供養を支えた重要な物語の一つとなりました。
『占察善悪業報経』は、地蔵を、五濁(時代も思想も命も濁りきった末の世)でとりわけ厚く衆生を救う菩薩と説きます。その呼び名が「善安慰説者」、善く安慰を説く者です。
又た是の菩薩は、名づけて善安慰説者と為す。所謂、巧みに深法を演べ、能く善く、初学の発意して大乗を求むる者を開導して、怯弱ならざらしむ。
婆羅門女と光目女の物語が伝えてきた、亡き親を思う祈りの重みは、時代が移っても変わりません。学問のうえでは、『本願経』と『占察経』は伝来や成立に議論のある経でもあります(詳しくは末尾の参考文献の注記に記しました)。本記事では、教学的にもっとも確かな『十輪経』を名義の軸に据えて引いています。
『地蔵菩薩本願経』の「嘱累人天品」は、地蔵を礼拝し供養する者が得る「二十八種の利益」を数えあげます。ここでは、経典が説く救いと、それを受けて日本で育った子供守護の祈りを分けて見ます。
仏のいない世で、迷い苦しむすべての衆生を救う本願。亡き人を仏縁へと導くと説かれます。
遺族が亡き人のために善をいとなめば、その功徳は亡き人にも生者にも及ぶと説かれます。二十八種の利益の第二十三が「先亡離苦」、亡き人が苦を離れること。これは経文の語そのものです。
日本では、地蔵菩薩は幼い子を守り、健やかな成長を見守る仏として親しまれてきました。経典の二十八種の利益に、子供守護がそのまま列挙されているわけではありません。誰ひとり見捨てない本願を、日本の人びとは幼い命への祈りとしても受け止めました。
利益の一つひとつは、誰ひとり見捨てないという本願のあらわれとして説かれています。
おん かかか びさんまえい そわか
oṃ ha ha ha vismaye svāhā
胎蔵界の儀軌(ぎき。修法の作法を記した典籍)に伝わる地蔵菩薩の真言にもとづきます。儀軌の原文は帰命(きみょう。仏に身をゆだねる礼拝のことば)の句ではじまり、日本ではこれを「おん」に替えてとなえ習わしてきました。「かかか」は漢字音写「訶訶訶」の読みで、梵語では ha ha ha。歓喜・讃嘆の声とも解されますが、その意は一義に定まりません。「ビサンマエイ」は「希有(けう)なるかな」の意とされます。お地蔵さまの大慈悲をたたえ、その救いを願う真言です。
『大日経』には「訶訶訶 素怛弩 莎訶(かかか そたぬ そわか)」という、もうひとつの地蔵真言も説かれます。唐代の注釈『大日経疏』は、その三つの「訶」を三乗の行(さまざまな道で衆生を利益するはたらき)と釈し、くわしくは『十輪経』に説くとおり、と結びます。千年あまり前の注釈もまた、地蔵のことは『十輪経』へ、と指し示しています。日本の学匠は、この二つを系統の違いとして扱いました。東寺観智院の杲寶は、地蔵院の真言は諸儀軌・諸次第がそろって上の「訶訶訶 尾娑麼曳 莎訶」であり、「訶訶訶 素怛弩」のほうは観音院に列する地蔵の真言だと考証しています。
地蔵は、経が説く本願を土台に、日本でさまざまな信仰へ広がりました。江戸時代には、祈りが聞き届けられた話を集めた地蔵の霊験記が次々と版を重ねます。そのひとつ、六十三の話を収めた『地蔵菩薩応験新記』でいちばん多いのは、病がいえた話でした。人びとがお地蔵さまに何を祈ってきたかが、そこに見えます。
亡き人が冥途で十王の裁きを受けるとき、そのかたわらに立って執り成し、救ってくださるのもお地蔵さまである。そういう信仰も日本で広まりました。中世にはさらに、裁きの主である閻魔王その方の正体(本地)はお地蔵さまである、とまで受け止められます。この本地の考えは日本で成立したとみられています。十王それぞれに仏菩薩を配する一覧は、遅くとも建久八年(1197)の真言の事相書に書き留められています。十王の枠組み自体は、中国で道教や儒教の冥界観と交わって形づくられ、日本で流布した『十王経』系の書物が伝えたもので、地蔵三経が説くところではありません。裁きの経典を迎えてなお、その真ん中にお地蔵さまを置き直した。人びとの信頼のあらわれです。
四国八十八ヶ所第二十二番札所、高野山真言宗の平等寺では、地蔵菩薩の縁日にあたる毎月24日の夜に、地蔵護摩を修しています。
平等寺のお地蔵さまは、岡山・津山の人びとの寄進により、1750年頃に造られた青銅の坐像です。右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、蓮華座のうえに静かに坐します。毎月24日の地蔵護摩は、この青銅のお地蔵さまを御本尊として修しています。
子供の成長・水子供養・先祖供養など、子と亡き人を思う祈りを、護摩の智火にのせてお届けします。
境内には、道のかたわらで参拝者を迎える、もう一尊のお地蔵さまがいます。次に紹介する「掘り出し地蔵尊」です。

「掘り出し地蔵尊」は、弘法大師が掘り出したと伝わる、およそ千二百年前の石像です。弘法の霊水の井戸のかたわらに安置されています。護摩の本尊である青銅のお地蔵さまと、道のかたわらに立つ石のお地蔵さま。二尊とも、いちばん苦しい者のそばへ歩み寄る地蔵の本願を、いまに伝えています。
ここからは少し、真言宗の教えの内側の話になります。密教では、地蔵菩薩は胎蔵界曼荼羅の「地蔵院」を担う重要な尊として説かれます。
密教では、仏の世界の全体を一枚の図にあらわします。これが曼荼羅です。善無畏・一行訳『大日経』にもとづき、弘法大師空海が唐から請来した胎蔵界曼荼羅では、地蔵は「地蔵院」という独立した一院の主尊として、北方に座を占めます。ここでいう地蔵院は、曼荼羅のなかの区画です。『大日経』が曼荼羅の描き方を説くくだりで、その場所を定めています。
地蔵院は、地蔵を首座に九つの尊で構成されます。文殊院や除蓋障院と並ぶ独立した一院です。九つの尊は地蔵の徳がひらいたものであり、大きな智慧を担う除蓋障院と向かい合って、地蔵院は大きな慈悲を担う。研究ではそう読み解かれてきました。中世の真言の学匠も、いま伝わる現図の曼荼羅では地蔵院を九尊とし、古い高雄曼荼羅とは尊の座に異同があると記しています。
修法の伝もあります。鎌倉期の事相書は「地蔵法」の次第を伝え、壇に本尊を招くときは「六道能化の地蔵尊」と唱え、心に本尊を観ずる道場観では、『十輪経』と同じ声聞形のお姿を観じます。地蔵の密号(密教でのよび名)は悲願金剛。本願をそのまま名に負った号です。
次に復た斯の位を捨てて、北勝方に至れ。行者は一心を以て、憶持して衆綵を布き、而して具善忍なる地蔵摩訶薩を造れ。
事相書の伝は、流派により細部が異なります。ここに挙げた地蔵法は、小野方(醍醐寺三宝院系)の事相書『祕鈔』『薄草紙』が伝える一伝です。別の系統では、興然が建久八年(1197)に神護寺で草した『五十巻鈔』が、地蔵法を一巻立てて、依用する経軌から種子・三形・形像・印明、六地蔵までを集めています。
平等寺では、五尊の月例護摩をオンラインで受け付けています。願いごとに近い仏さまを選び、申込画面で内容を確かめられます。
本記事は、高野山真言宗 平等寺 住職 谷口真梁(たにぐち しんりょう)が、次の原典と資料にもとづいて記しました。漢訳の経・儀軌は、大正新脩大藏經(CBETA・SAT)の本文から確認しています。真言宗の事相書は、大正蔵に加えて『真言宗全書』の本文からも確認しました。「No.」は大正新脩大藏經の経・論番号です。研究論文のうち無料で全文を読めるものには、J-Stage へのリンクを添えました。地蔵を説く経のうち『地蔵菩薩本願経』『占察善悪業報経』、および日本で展開した『延命地蔵経』『十王経』類は、成立や訳者に学問上の議論がある経です。本文では出典とその性格を明示し、唐代の訳出事情を確認しやすい『大乗大集地蔵十輪経』を、名義と像容をたどる軸に据えています。
地蔵菩薩と平等寺の祈りを、さらに知るための記事です。